第二回コラムでは初打ちのお話を書かせていただきましたが、今回は当時のパチンコルールと言いますか、色々と今とは違うシステムが【大阪】では多かったのでないかなということでご紹介しようかなと。

[その1、換金率(大阪)]

換金率といえば、ここ最近、大阪は等価がダメになりまして、パチスロは5.6枚交換のパチンコは28玉交換よりは低レートじゃないとダメだよというルールになりましたね。(最近では47枚貸しも出だしましたが)

その昔、14年前くらいの頃はと言うと、パチスロ7.6枚交換のパチンコ42玉交換以下しかダメだよと言うのが大阪の組合が決めた換金率でした。

今考えたら凄いですよね。だって、1000円押したらその時点ですでに大幅マイナススタートなわけですよ。

一部のお店では組合が違うーとか、色々とややこしいとこがありまして、等価のお店もありましたが、これはまたのお話。

当時はそれが普通と言うか、入り口がこの換金率だったので、違和感ありませんでしたが、それでも勝てる、そんな時代だったんですよね。

[その2、ラッキーナンバー制]

今の20代の人には全く縁がないこの言葉。簡単に言うと、お店が決めた図柄でラッキーナンバーで当たると交換しなくてそのまま打ち続けていいですよ、ラッキーナンバー以外だと時短が抜けたら交換しないと行けないですよと交換させられる、そんなルールがあったんです。

その分、今よりももっと回りましたし、店側も回せましたし、winwinの時代とも言えるんですかね。

「朝イチ、1時間以内に当たると無制限ー!」なんてルールの店もあったりで、朝一は鉄火場となっていました。ポイントで無制限なんてのも、今となっては懐かしい光景でしたね。

換金率は悪くとも、無制限、ラッキーナンバーというシステムを把握し、上手く立ち回れば簡単に勝てたんですよね。この当時はバブリーでしたから。(死語)

[その3、その他のルール]

昔のことを書いてると当時の光景が思いだし、色々と当時の映像が浮かんできました。

当時は今では当たり前のことが色々とダメだったんです。

例えば、台移動、もちろんダメ。移動したいなら交換してくださいというのが普通でした。いつからでしょうかね、移動OKになったのは。

共有も基本ダメ。ポイントや特定の日だけカップルシートなど札が刺され、ひどいお店なんかだと椅子カバーまでかけられて、さあどうぞなんて店もありましたね。メリットはでかいですが、ただの罰ゲームです。

貯玉はというと、そもそもそういう概念がなかったです。いつくらいからでしょうか、こんなにも普及したのは。

最近では大手だと無制限手数料なしなんて当たり前となりましたが、貯玉というシステムができた頃は、当然のように〇〇〇〇発のみという制限がありましたね。

それでも貯玉で打つのと現金で打つのでは全く異なります。そのお話はまたの機会に書かせていただきます。

この14年くらいの間に劇的に変化したのがお分かり頂けるのではないでしょうか。

パチンコが時代背景と共に変化し、進化し、今の姿へと形を変えていきました。

この先14年経った頃には、また違うシステムが出来たりしてるんでしょうね。

次回は持ち玉の有効活用について書いて行きます。

ではではー。