彼らの特徴で最初に感じたのは、
敬語を基本とした礼節の整い方だった。

勿論、親しさの中にくだけた部分はあるが
挨拶しかり、態度しかり、そんなに気を使わなくていいよ!
と言いたいくらいなもの。

年齢など関係なくパチスロで
つながっているだけのコミュニティなのだから、と
思うところなのだが、その点は気持ちよいくらいだった。

ただ、飲み代は割り勘じゃなくて多めに出させてほしかったかな(笑)

 

 

打つスタンスとしては、
現実問題としてノリをやっていたかで違ってくるだろうが
かなり情報共有や作戦会議を綿密にやっていたと思う。

そこには「勝つ」という目標があるので当然だが
パチスロの「情報と立ち回りで自らの手で勝ち金を掴む」
という他の娯楽にはなかなか無い魅力が
彼らを惹きつけたに違いない。

その結果はどうだっただろうか。
自分の予想では、素直に個人の資質で分かれていったと思う。

 

 

大勝に心躍らせ、
高設定を掴み誇る。

愛も伝わらないことはあり
剛腕も陰ることがある。

台の挙動に感動し、
新たな発見に胸を躍らせる。

期待値の欠損が続いたり、
判別のブレで大火傷を負うこともある。

 

パチスロの喜怒哀楽に一人一人が立ち向かい、
自分の中で消化させていったのだろう。

パチスロは、万人に公平で不条理だ。

こうして今では
完全に離れた者、専業を志す者、
業界を目指す者、適度な距離で楽しむ者など
次のステージに旅立っていった。

 

振り返ると、20代のコミュニティだからこそ見える風景があった。
20前後ならば、卒業や就職という人生のビッグイベントがある。
そんな節目に就職祝いやアドバイスを送るのも
パチスロを越えた人間関係を感じさせてくれた。

これはあくまで推測に過ぎないが、
当時の主要メンバーがそういった人生の転機を迎えたところで
回胴連20′sの第1章が終わったということだろう。

 

「また好きな台にフェードインしちゃダメですよ!」
「この空台、たぶん上だと思うのだけど打ちます?」
「負けちゃいました…また、よろしくお願いします!」

 

別にパチスロが上手いわけでもなんでもない自分に
やさしく声を掛けてくれた日々が今でも思い出される。

生き馬の目を抜く鉄火場の世界の中で、
彼らは明るく輝いていた。
いいじゃないか、そんな若者たちがいても。

自分は相も変わらずパチスロと付き合い続けているが、
青く華やかに駆け抜けていったあの時の彼らに
伝えたいこと。

 

 

君たちのあの時間に
無駄なことなんて一つもない。

パチスロが与えてくれた
喜びも悲しみも

これから生き抜く
美しくて残酷な日々の
血と肉となり、支えになる。

パチスロは
人生そのものだ。

 

さあ、打ちに行こうぜ!