じく

じく「LINE@ってナンヤネン」

 

 

もうこれを書いている時点で

先取りでも何でもない話ですが。

LINE自体の説明は省略するとして、
ここで挙げてるのは「LINE@」。

簡単に言うと、
1:1やグループのトークではなく、
1人の発信者が多数のフレンドに
メッセージを送信する仕組みです。

で、これをホールが使用して
客に情報発信しているという感じ。

 

ホールの使い方次第ですが、
p-worldメール同様に
発信する日を限定したり
いつもと異なるニュアンスにしたり
なぜか一部だけ文字色が違ったり…

まあテキスト情報なので
どうにでもできるわけです。
じゃあ何でLINEなのか?
と、少し考えました。

 

まずは普及率。

スマホの国内普及率は
2015年で49.7%だそうです。

そして2014年で
スマホ所有者のLINE使用率は
10代:77.9%
20代:90.5%
30代:69.8%
だそうです。

もうこれ、ざっくり言えば
パチスロで何かしら
情報を得ようとしている人は
LINE使ってると言ってしまっていい。
次にアプリに対する
「アクセス頻度」の違い。

スマホ使用者が
通話以外にどんなアプリを
起動する機会が多いか、
ということです。

メールやtwitterと比べて
LINEの方が
ポップアップ通知から1発で
アプリを起動して
メッセージを確認しにいける。

特定のメールやツイートに対して
通知を設定したり
メーラーやtwitterを
常に気にして開いている人は
LINEより少ないのではと思います。

Facebookやブログの更新通知を
何かしら設定している人はいると思いますが、
その通知もメールだったりしません?

ようは電子メールよりも
通知性とアクセスしやすさに
優れている、というわけです。
ということで
ホールから客へのメッセージングに
LINEというツールは有用だと。
ただLINEは
1:1やグループが基本なので
それを1対多人数の発信型にしたのが
LINE@です。

LINEの場合は
「ともだち登録」が必要なので
ホールから見れば
客の囲い込みができるし、
マーケティング的な解析も
可能かと思います。
で、ここから少し面白い。
LINE@は
基本的にコミュニケーションは
一方通行です。

多人数→発信者の個別メッセージは
自動応答のみです。

わざわざ手動で返答もできますが
これはツールの主旨に合わないというか
イレギュラー対応用と考えていいでしょう。
ただ「キーワード応答」というのがあって、
「特定の言葉に特定のメッセージを返す」
ことができるんですね。
ようは合言葉みたいなもの。
「山」「川」ですよ。

これによってクローズドな情報を
限られた人間に提供することができる。

情報は、
「得する内容」を
「少ない人数」が
知っているほど、
その有効性が増すので。
すでにモラル崩壊というか
広告宣伝規制も
ユルユルになってきている
状況に見えますが、
この「LINE@」で
次の段階が始まっていると言えそうです。
さて、このLINE@ですが
一般人でも発信者側になれます。

App storeかPlay storeで
アプリをダウンロードして
設定すればOK。

@名を自分の希望のものにしたり
メッセージ発信数を無制限にするのに
初めて有料になります。

お試しでやってみると面白いかも?

なお、
メッセージ制限は1000通まで無料、
50000通まで5400円/月
以降は従量制です。

@名指定は
初年度2592円、
2年目以降1296円
です。

さらに法人や団体などで
認証済みアカウントとして
審査を通過すると
LINE内での検索対象になります。
ちなみにこの「審査」ですが

●認証済みアカウントを利用できない可能性のある法人・団体・個人

1.
インターネットメディア、オンラインゲーム事業者等、インターネットを用いたサービスの提供を主たる業としている法人・団体・個人

(略)

4.
ホストクラブ、キャバクラ、キャバレー、ショーパブ、セクシーパブ、ガールズバー、スナック、ゲイバー、レズバー等の飲食店、パチンコ店、パチスロ店、マージャン店等、設備を設けて客に射幸心をそそるおそれのある遊技をさせる営業を行う法人・団体・個人


……あれれ?

と、いろんなホールさんや
パチ情報系のLINE@を見ると、
たしかにバッチマークはグレー。

認証済みの
緑色にはなってませんね。

そこら辺はさすがに厳しいようです。

 

 

 

さあ、すっかりLINEの回し者のような
感じになりましたがw

結局、これってのも
単に1つの情報ツールに過ぎないわけで。

時の流れでどうにでも変わっていくものなので
今の主流は何か、
そしてそれより先取りできるものは何か、
を気にするのが
いいのだと思います。

少なくとも知らない人は
今の段階で行く可能性のあるホールが
LINE@をやっていたら
登録した方がいいですね。

 

ただ、これもみんながみんな
使ってたら情報価値は下がるもの。

誰もが入手できる情報は
もはや無価値に等しいともいえます。
そんな時に大事なのって……

結局、
信頼できる人脈のネットワークだったり
自分の足で稼いだものだったり。

そこに辿り着けるのが、
一握りなのでしょう。

ちなみに
僕はその一握りではないので、
ご安心くださいw

いつも勝った負けたを繰り返してる
ただのおっさんなので!

 

 

じく「ホールと打ち手の関係みたいなもの」

 

 

ここ一年くらいでしょうか。

伝わる話やご縁もあって
いわゆる「優良店」に行ったり、
何人もの専業さんとお話できたりしまして。

ここらで感じたことを
簡単に書き留めておこうと思います。

 

 

どこにでもある
客入りイマイチのホールがあり、
それが「頑張ってる」と
噂が広まり優良店になっていきます。

 

本来は、
もし最近頑張っているお店で勝ちたいなら
傾向とかクセとかいろいろ調べてなければならない。

抽選なので、
番号に応じた朝の台取りや
後ヅモのプランも考えなければならない。

パーソナルだと
見た目の風景が分かりにくいから
よく観察してないと稼働最中でも
何が強いか見抜くのが難しい。

 

そして、こう言ってしまえばなんだけど
もうこのお店の「美味しい」状況は
過ぎてしまっている。

いや、素晴らしいんですよ。
非等価になって
さらに設定配分が濃くなっているように見え、
しかもお店側は
打ち手に分からせよう、知ってもらおうと
クセや傾向をわざと入れてくれている。

設定配分をシミュレートして
サイコロでも振って完全ランダムに決められたら
狙いようが無いところを
ちゃんと意識的に「全」などの偏りを出しているわけで。

その上で、もう人数が増えすぎてしまった。

 

 

これっていろんなスパイラルが絡み合っている。

 

打ち手はライバルの少ない中で
自分だけが高設定を打ちたい。

お店は多くの打ち手を招いて
店全体の稼働を上げたい。
低設定が動いて回収できればこそ、
高設定も多く入れられる。

そうするためには、
「狙える高設定がある」
と効果的な出し方をして打ち手に伝播させる
店としての我慢の時期があるわけで。

その時期が美味しいわけで、
このお店は
もう「ほぼ仕上がってしまった」
わけです。

おそらく半年~1年という
できる限り短期的に店に客をつけて
しかも常連化させるには
こういった手法が一番ベターなのだと思います。

さらにその過程で、

機種に偏りを見せずに入れて
「どの機種にもチャンスがある」
と思わせる。

特日でなくても高設定があり
「どの日にもチャンスがある」
と思わせる。

そして打ち手の選択肢として
常にそのホールが入るようになり
「あの店にはチャンスがある」
と思わせる。

そういった打ち手に対しての
イメージ戦略の積み重ねで
いわゆる「優良店」を
仕上げていく感じでしょうか。

仕上がったら、
あとは常連を裏切らず
店の収支で結果を出す経営を続ける。

その繰り返しなんだと思います。

 

 

そこに、いろんな外的要因が絡んでくる。

例えば、

・ライバル店舗の捨て身の攻撃
・大規模チェーンの大量資本爆撃

もあるだろうし。

常連も付いていて
健全経営をしているお店の前に、
資本力にものを言わせた
暴力的な出玉勝負を仕掛ける
チェーン店ができたら?
とか。
(定番ですが、これで1本お話が書けますねw)

他にも

・特定機種の人気
・規定変更によるスペック変化

とか。

そもそも台の良し悪しを見定めて
打つ価値のある台をお店に入れないといけない。
台に依存する
「面白い」と「勝てる(と思える)」
のイメージね。

 

一方、

・オーナーや上層部が無理なノルマを突きつける
・従業員が問題を起こす
・店内設備を回収する必要がある

など内的な要因が
影響を与えてくることもあるでしょう。

 

 

ただ、根本には何をするにしても
お店が利益を出す必要がある。

そのためには稼働を上げる、
お客様に来店してもらわないと始まらない。

だから最初に挙げたような
優良店への仕上げが
まず大切なのだと思います。

 

 

そんな常に変化する
ホールの意思みたいなものを感じて
打ち手の自分達は
「間隙を突く」
ことができるか、ということかと。

美味しい時期に美味しい店を選ぶ。
できる限り抽選入場の店は避けて、
並びで確実に台を抑える。

攻めるまでに猶予があるなら
「見」で傾向やクセをつかみ、
数日勝負なら
どれだけアドリブを効かせて
その場での空気を
察知して当たりを見抜くか。

美味しいところだけを
狩りに行くだけでなく、
ライバルが少なく
数台の当たりが必ずある店で
ひっそりと身を隠して
適量を抜き続けるか。

 

 

ホールにはホールの
打ち手という
不特定多数を相手にした
戦い方がある。

打ち手には打ち手の
ホールという
胴元を相手にした
戦い方がある。

 

これって実は相当面白い。

一般的な
「メーカー」と「消費者」の場合、
お金の流れは一方的なわけです。

それがこの世界では
「打ち手(消費者)側がお金を得る」
仕組みが最初から存在している。

パチスロという遊技機の面白さに、
こういった仕組みがプラスされているから
魅了される人が増えてきた。

 

僕も魅了されています。

一個人としては単なる打ち手ですが、
お店の立場というものも良く考えます。

台自体の面白さも味わうし、
この世界に関わる様々な人たちも
とても心惹きつけられます。

 

だから、
それでとても嬉しくて
満足してます。

結局、自分の好きな台に座って
勝った負けたを楽しんでます。

うんうん悩んで座った1台、
渾身のレバーの一叩きが、
何万人もいるこの世界の人たちと
つながってる。

そう思うと……

って、一周回って
ただの言い訳ですがねw

もちろん自分が稼いだ金で
真剣に勝負を挑んだ上での話です。

 

まあ、小難しいこと言ってますが

「俺の今日の負けが
あの可愛いコーヒーレディの
給料になってる」

「私の台への熱い思いが通じて
増台された、のかな?」

「今日の勝ちは、ジャグを打つ
爺ちゃん婆ちゃんが少しずつ
負けた分だ、スマン」

「あのお店イイから広めたいけど、
広めると勝ちにくくなる。
でも客来ないと設定は入らないし、
うう悩ましい!」

みたいな、
お店や打ち手の目に見えない
つながりを感じると
幅が広がっていいんじゃない?
というわけです。

 

 

じく「専業さんのいる風景」

 

 

久しくコラムを空けてしまいました、
ごめんなさい。

そんな中、昨年の11月から
少しホールの風景として
感じたことがあったので
書きとめておこうと思います。

 

それは専業さんやセミプロさん達の
動きの変化。

自分は千葉県民ですが、
まず今までは見なかった
専業風の人たちが少しずつ
増えたような気がします。

東京都が非等価になり、
江戸川を越えた千葉県なら等価。

特徴のないホールでのエナや、
何かしらやってるホールでの
朝からの設定狙いに
やはり専業さんが
流れてきてるようです。

 

もちろん、神奈川・埼玉も
ある程度は同じ状況なのかも。

ただ千葉県は昔から
ジグマ系の専業が
ひっそりと根強く
活動している土地なので
最初は苦労するかもしれません。

 

一方、都内でも
非等価化を機会に
出玉を見せに来てる
ホールもあるので、
勝つには他人の裏を取るのがセオリー、
ここで都内での設定狙いも
有効かもしれません。

 

 

さて、そんな中で面白かったのが一つ。

先日に仙台はZAP多賀城さんに
お邪魔したんですね。

その際に朝から、
いや徹夜レベルで並ぶ
大勢の専業さん達を見かけました。

そして彼らの組織立った行動が
なかなか一見に値しました。

 

もちろん前日の風景や
お店の傾向から、
朝から押さえておきたい台は
決めてある。

その上で朝の
各台の立ち上がりを
確かめる「見役」がいる。

おそらくこの見役が
リーダー格の人達かと。

で、目立った挙動の台が出たら
すぐに全を意識して
人を集めて台を押さえる。

すると、リーダー格の人から
打ち手に会員カードが渡されるんですね。
カードの中身は2~3万枚の
貯玉が入っているわけです。

以降、見役は
稼働している台の
情報も集めて
押し引きをジャッジしていきます。

 

専業に方々にとっては
こういったグループでの動きは
特に珍しいものでは無いと思います。

ただ、組織のピラミッド構造や
役割分担の明確化が
ここまでちゃんとされているのに
少々驚きました。

ここからは想像ですが、
日当、アルバイト代みたいなものが
しっかりと価格差があって
配分されるのかな、と。

 

僕はこういった
専業さんたちの動きを
全然否定するつもりはありません。

むしろ、勝ちを突き詰めていったら
こういう形になるのは
むしろ当然だろうと。

「ノリ」という文化は
この世界に昔から存在するものだし、
お店側もある程度は
「専業を囲う」ことが
稼働維持のメリットだったりもします。

 

自分のような人間は
ピンでホールに向かい、
楽しさ重視で
勝った負けたを繰り返す。

どっちがイイ悪いじゃなくて、
自分のお金と時間を
どう使うかは自分次第なわけで。

 

そんな中、
多賀城でも少しだけ
グループの彼らと
話す機会もあったのですが。

お金のことしか考えない、
完全期待値主義かと言えば
全然そんなことはない。

普通にスロの展開に一喜一憂し、
出れば神台、負ければクソ台
と笑いながら会話を楽しむ。

若い方も多く、
一見強面でも
話せばシャイで純朴な
人たちばかりです。

 

そう、肝心なことを
忘れてはいけない。

彼らはまず最初に
スロを選んでここに来ているのだから。

もっと割りのいい仕事や稼ぎだって
世の中にはいっぱいあるでしょう。

なのに徹夜までして
パチスロを打ちに来ている。

そこには情や愛が必ずある。

 

専業としてのストイックさと
パチスロへの情の深さ、
そういったものを多賀城では感じました。

もちろん、土地を問わず
こういった風景はあるはず。

パチスロにおいて
台を楽しむのが「表のテーマ」なら、
ホールと打ち手との駆け引きは、
「裏テーマ」です。

せっかく打つなら、
この両方のテーマを感じながら
ホールの風景を
今後も眺めていきたいと考えています。

 

 

じく「May I say “Conguraturation” ?」

 

 

これは先日ラスベガスに行ったときのお話。

旅の最終日。

フライト時間は朝早く、
モノレールやバスは動いてないので
ホテルからタクシーで
マッキャラン空港に向かいました。

(以下、英語だったと想定してください)

 

 

「マッキャラン空港までお願いします」

「航空会社は?」

「ユナイテッド」

「OK」

朝早く、夜の帳が白み始めたくらい。

遊園地のように看板やモニュメントで彩られた
数々のリゾートホテルの間を、
イエローキャブは進む。

まるでこの娯楽と欲望の街を
独り占めしたかのように
ただっ広いハイウェイを颯爽と駆け抜けて。

 

「どこから来たんだい?」

「日本からです」

 

ドライバーは初老の、いや老人と言っていい
がたいのいい白人。

 

「あまり英語喋れないから、ゆっくりお願いします」

「そんなことないだろ、お前は十分に話せてる」

「ハハ…光栄です」

 

少し間が空いて静寂が続いた。

空いた窓からは
ベガス特有の乾燥した空気が差し込んでくる。

日中なら熱風となるが、
寒暖の激しいこの土地の朝は
意外なほど冷え込む。

このまま黙ったまま
空港までの時間を過ごしてしまうのは
惜しいように思えて
勇気を出して拙い英語を続けた。

 

「日本から来るのは疲れました。12時間かかります」

「そうだろうな、俺の友達が日本に行ったときもそんなことを言っていた」

「日本は遠いです」

「そう言えば、その友達が日本は物価が高いって嘆いてた」

「うーん、僕もそう思います」

「成田空港から東京まで、タクシーで90ドルかかったって!」

「それは気の毒に…成田エクスプレスとか、電車を使うべきでしたね」

「そうだな、アメリカと日本ではタクシーは違う」

「ホテルも高いですよ」

「だろうな」

 

会話が成り立つこと自体が楽しい。

しょせん片言で
相手が合わせてくれているのは分かっているが、
それでも意思を通わすことができるというのは
異国の地では本当に心が沸き立つ。

この国に自分は拠り所が無い、
という漠然として強烈な不安感を
心が触れ合うことで和らげてくれる。

 

「実はな、俺はあと2週間で定年なんだ」

「定年!?」

「ああ、もうすぐ65歳になる」

「それは……おめでとう、と言っていいですか?」

「もちろんだ!」

「おめでとうございます。僕はまだ42です」

「なんだ全然若いじゃないか! 結婚はしてるのか?」

「いいえ、独身です」

「じゃあ、いい女を探さないとな」

「ハハ…僕もそう思います」

「綺麗な女はすぐに飽きる。金持ってる女がいいぞ!」

さすがに気の利いた言葉を
英語で返すことはできず苦笑い。

そんな他愛の無い会話を続けているうちに
頭上を通り過ぎる交通標識が
マッキャランを指し示していた。

 

もうすぐ、このドライブも終わってしまう。

「この街はいい。俺はここで40年間働いてきた」

「40年!」

「そうだ、定年したらニュージャージーにいる俺の家族を呼び寄せるんだ」

「楽しみですね」

「ああ、ベガスは本当にいい街だ」

そして、ついにイエローキャブはアクセルを緩め
空港の敷地内に入る。

航空会社ごとに入口は大きく離れていて、
ユナイテッド航空を指し示す入口近くで
イエローキャブは止まった。

後部座席に取り付けられた
クレジットカード用の端末に料金が表示される。

アメリカはチップ社会なので、

カード払いの場合はチップ代金を自分で選ぶ。

心地いい時間をくれたお礼に
MAXの20%をチップにしてクレジットカードを通した。

車を降り、もうすぐ定年のドライバーが
トランクから荷物を取り出してくれる。

 

「ありがとう」

「こちらこそ」

「お前の言ってることは全部理解できた。自身を持っていいぞ!」

「本当に?」

「ああ、またベガスに来いよ」

「ええ、是非」

「いっぱい金持って、またこの街に来てくれ!」

 

そう言って大声で笑うと、
僕の背中をポンポンと大きく叩く。

自然と僕は右手を差し出し、
彼の大きな力強い手が握り返した。

何なのだろう、
日本では握手なんてまずしないのに
気が付いたら求めてしまっていた。

 

Hava a nice trip, see you!

 

もうすぐ人生のハッピーエンドを迎える
気のいい白人ドライバーは、
朝日が昇り始めたストリップへと
イエローキャブと共に去っていった。

 

さあ、これで僕の旅ももうすぐ終わる。
もう少しだけ英語を頑張らないと。

ユナイテッド航空のカウンターにある
自動発券機で手続きを済ませ、
預ける方の荷物をカウンターに持って行く。

そう言えば一つ
確認しなければならないことがあった。

カウンターの若い白人女性に
パスポートとチケットを渡しながら、

“Excuse me, should I take this bagage at Sanfrancisco?”
(すみません、この荷物はサンフランシスコで受け取る必要がありますか?)

と尋ねる。

こんな感じのいい加減さなので、伝わっているかどうかは怪しい。

すると、女性は少し困った感じの顔をして
考えているようだった。

そして口を開いた。

「ワタシ、ニホンゴ スコシハナセマス。コノママ アズケテ ナリタデ ダイジョウブデス」

“Oh I see, thank you!”

そこには
日本語で言われ
英語で答える
カッコ悪いけど幸せそうな
中年の日本人男性が
苦笑いをしていた。

 

 

じく「ワンチャンのラストチャンス」

 

 

規制関連の情報がどんどん上がってきてますね!

段階的に新基準に批准した台が導入され、
1000円で40G以上プレイできて
天井が1500G級のマシンが増えてきました。

(結局これって麻雀物語3じゃね? と内心思ってますが)

 

 

そして噂では
「3000枚リミッター」を新たに設ける、
なんて話も。

自分もwebで見かけただけで
裏は取ってないので本当かどうかは分かりません。

ただ明確な「リミッター」というのは
自分が打ち始めた4号機初め~中頃から今まで、
覚えがありません。

強いて言えばパチンコの確変連チャンに
そんな感じのものがあったような無かったような。

まあパチンコには「打ち止め」という文化があるし、
この大当りで交換終了なんてのは
まだ抵抗が無い部類です。

 

 

でも、機械がリミッターを設けるというのは
正直眩暈がしてきました…。

まあ都市伝説では内部的に
リミッターを搭載していた台が
あったとか無かったとかいう話も
ありましたが。

ただこの話が実現すると、
リミッターが発動したらどんな状態になるのか?
ちょっと想像が難しいところです。

今のパチスロはATやARTといった
状態の連続性でもって
出玉がグングン伸びていきます。

そこでART突入から差枚数が
+3000枚になったら…

「強制的に通常時に戻る」
「残りAT・ARTゲーム数没収」
「クレオフされて継続遊技不可」

一体どうやって終わらせるのよ!?
何をどうやったって
今のAT・ART機とマッチしません。

あと3000枚というのが
一撃が差枚数かというのも。

さすがに一撃での話だと思いますが。

 

 

まあ、この話を聞いた時の僕の感想は

「今以上にAタイプが幅を利かすことになりそう」
「6万負けたらもう取り戻せない」
「夢も希望も無い」

って感じでした。

なぜパチスロ打つかって、
「これ何枚出ちゃうんだろう!?」
ワクワクしながら打つ
期待感や興奮があるからこそ。

それが
「これは最高でも3000枚しか出ません」
って言われたら
楽しみの半分以上を奪われるようなものです。

純増速度や枚数が制限されたり
天井恩恵が0に等しかったり
初当り確率が1/500になっても構わない。

でも、リミッターだけは絶対に止めて欲しい。

お願い、お願いだから止めて。

 

 

そんな絶望感の中、
一つの考えが浮かんできたんです。

もし本当にそうなるのなら…

三重で大晦日にワンチャン夢見られるのは、
今年がラストチャンスかも!?

まあ全てのパチスロが
来年末にリミッター付きになるわけでは無いでしょうがw

 

 

じく「お前の人生なんて弱レア役みたいなものだ」

 

 

「お前の人生なんて弱レア役みたいなものだ」

 

とか言われたら、

とりあえず青木ヶ原の樹海への行き方を調べるか
目をつぶってガチ1の凱旋を天井まで持っていくか

これからの生き方を考えると思います。

 

何だよ、弱レア役って!
リプレイとかベルならあきらめもつくけど
何よその中途半端な感じは!

そこそこ期待させるような演出で
チェリーが3連せずに残念でしたとか

定番BAR狙いが滑ったけど
その割には煽り弱くてやっぱり弱スイカとか

立ち位置的に残念すぎるだろ…

 

何か
小学校で神童、
中学校で天才、
高校で優秀、
大学で中の上、
社会人で人並みみたいな

期待がじょじょに失われていく
あのゲームを重ねるごとに
演出がしぼんでいく感じとか。

弱チェリー、弱スイカ、弱チャンス目。
何でこういったのが定着したんだろうなー

「お前、弱チェリーのくせに生意気だろ、あーん」

「私、弱スイカのような男性は苦手でして…」

「弱チャ目の君、邪魔なので下がってなさい」

何か本気で哀れになってきた…

 

と、そんなことを
打ちながら妄想してたんですよ。

・まどマギのスイカ

・バジ2の巻物

・ブラクラ2の弱チャ目

こういうの引く時にね。
これに共通することって何だか分かります?

まあ多少は機種によって意味合いや効果が異なるけど
これらは皆、

「通常時に引きたい弱レア役」

なんですよね。

普通はレア役って
ATやART中に引きたいものじゃないですか。
なんだけど、この子達は別。

まどマギのスイカはART中だと
上乗せになかなか期待できない。
でも、通常時ならマジチャレ契機。

バジ2も同様。
開眼チャレンジ契機で、
ART中のセット乗せは強チェリーより弱い。

ブラクラ2の弱チャ目に至っては、
CZのメイン契機役で
他の強レア役より入りやすい。
(中段チェリーや超チャ目は別格として)

 

いずれも、通常時にこそ輝ける弱レア役なわけです。

その代わり楽しい時間のAT・ART中は
出てくると輝けないというかガックリされる。

何かほら、弱レア役の立ち位置みたいな
見えてくるわけですよ。

彼らこそ今のAT・ART機を支える
縁の下の力持ちというか。

ガッツンガッツン
ゲーム数やセット数を上乗せる脳汁タイムも
彼らの活躍あってこそというか。

 

で、舞台裏にいるはずの彼らが
間違ってAT・ART中に出てきちゃうと
緊張して実力が発揮できないわけで。

彼らは通常時でこそ輝けるんです。

そう、弱レア役みたいな生き方だって悪くない。
弱レアがいるから強レアの存在意義があるんです。

「お前みたいな弱レア役のおかげで、今日は頑張れたよ」

「私、弱レアなあなた、嫌いじゃないかな」

「弱レア、俺は君を頼りにしているよ」

うん、それはそれでカッコイイ。
っていうか、会話が成り立ってない。

 

ただ根本的な問題が。
「弱」という時点でダメなんじゃないかと。

もう弱いことを否定できてないし、
レアだけど弱いとか何言いたいんだと。

これからは例えばエヴァ槍のようにチェリーA・Bとか

元気なチャンス目、明るいチャンス目、
期待のチャンス目、ワンチャンチャンス目
SSRチャンス目、きらきらチャンス目
チャンス目だにゃん、チャンス目スイカ科

とか
何かもうとにかく名前変えたほうがいいんじゃないかと。

人生も折り返し地点を越えたスロッターとして
自分が微妙な弱レア役だと悟ると、そう思うわけです。

 

 

じく「仕方ない奴だ」

 

 

仕方ない奴だ

 

 

 

 

「クソが、この産廃が…」

「愛してるよ、お前最高!」

「どうしたんだよ、さっきまであんなにご機嫌だったのに。」

「お詫びキターっwww」

「頑張れよ、お前のポテンシャル見せてみろ!」

「騙したな、最初だけいい顔しやがって…」

「そうなんだよ、信じてたからな!」

「いいよ、君のためならいくらでも貢ぐよ。」

「このじゃじゃ馬、どう乗りこなしてくれよう。」

「っは! そうきましたか!!」

いやーもう、言いたい放題。

まあさすがにホールなんで
実際には口に出さないとして。

心中ではそれはもう
好き勝手なことをみなさん
台にぶつけてるわけです。

自分なんかは表情やレバーオン、
下手すれば口も開けてしまいますがw

 

まあパチスロって奴は
なんせ台という機械が相手な訳で。

打ち手たちは、
無責任に手のひら返して
あーだこうだと。

 

 

でもこれって機械が相手だからできるわけで。

人が相手だとなかなかそうは行かない。

モンハンで3死して3DS投げることはできても
スポーツで相手が気に食わないから殴るとかダメでしょ。

人じゃなくて機械が相手、
って何か寂しいとか可哀そうとか
思われてしまいそうな面があるけど、
それはそれで長所があるわけですよ。

二次元の嫁が裏切らないように、ね。

まあ二次元のお嫁さんとは
かなり脳内補完しないと対話が成立しないけど
パチスロの場合、基本的に反応してくれる。

 

5万枚オナシャス → BIG間1000Gハマリ

ここ、ここでレア役! → リプ7連機種違い乙

メダル落としてよそ見 → はい、プレミア演出どうぞ

 

お前、絶対に俺のこと騙してるだろ!
百歩譲って試してるだろ! という。

乱数と演出と出目の
組み合わせ結果に過ぎないのに
何だか台とインタラクティブを超えた
コミュニケーションが成立しちゃってる。

 

そう考えるとね、
パチスロって本当に心が広い奴だなーと。

いませんよ?

今どき、こんだけ人の欲望や妬みや願望を
文句言わずに受け止めてくれる相手って。

お嫁さんにそんなことしたら即離婚、
上司にぶつけたら明日は席がありませんよ?

もうね、本当にパチスロはいつでも
俺のことを光り輝いた笑顔で出迎えてくれる。

入れたり叩いたり押したりすると
鳴いたり表情変えたり震えたりして
下からドバッと吹いたりする

 

 

……ゴメンナサイw

ともかく、パチスロは打ち手の気持ちを
全身全霊で受け止めてくれるわけです。

何か嫌いになれないというか
離れられないんですよね。

 

だからなのかな。

ギャンブルだったり、勝てる投資という側面があるのに、
そういった方向に割り切れない自分がいるわけで。

そう思いながら、サンドに諭吉を突っ込んでるわけです。

「仕方ないやつだな、ほんとに」

と、喜びながら。

 

 

じく「【記憶力】って?(その2)」

 

 

自分は1973年に生まれて2015年に至るが
あまりに劇的な変化を体験できた、と自覚しています。

PC、Webによって
人間をサポートする科学は大きく変わりました。

記憶媒体は飛躍的にその量と質を高め、
デバイスが発達しその検索性も発達、
そしてwebによる伝播は爆発的なものだったわけです。

ようは、
スマホもインターネットも無い世界が
たった30年で今のように変わってしまった。

「分からなければググればいい」
時代になった。

「博識」が
何の価値も持たない時代になった…?

そんな中で、現実のホールで
設定狙いやゾーン・天井狙いをするという行為は
面白い立ち位置にある。

例えば、今目の前に
当日300G、宵宵越しならば1300Gの
凱旋が落ちてたとしよう。

ここで求められることは、

・凱旋の天井を知っている
・凱旋のリセット天井と振り分けを知っている
・店のデータ表示機の見方を知っている
・店のリセット癖を知っている
・自分が打った場合にかかる時間と投資をシミュレートできる
・この台を打つ場合と、他の台や店を探した場合を比較できる

などなど。

記憶力や検索力だけでなく、
計算速度も必要だし、
地道に培う観察力も求められる。

ただし何より必要なのは、
こういった分析をしようと思うメンタルと
とりあえず下皿に物を置く判断力だったりもする。

たかが凱旋のエナで何偉そうに言ってるんだか、
とバカにされそうだが
これだけでも色んな要素が絡み合っているということ。

単なる情報戦だけではない、
計算力・機動力・行動力も求められるのが
スロの立ち回りなわけです。

勝てる人、専業を続けられる人は
ここら辺をナチュラルにこなしている。

設定狙いだと自然に
「店が弱い」
の一言で昼過ぎには帰ることも。

自分自身や周囲の台の挙動が
上ブレか真の姿か下ブレか
確率論と店に対する分析もした上で押し引きを見定める。

結局は打つ打たないだけの話なのに、
恐ろしいくらいの情報が交錯しあっているわけです。

なのだけど、なのだけど。

それだけじゃない「力」が存在するわけで。

なぜアイツはあそこでアレを叩ける?
どうして俺はくそハマって5万負ける?
98%が単発で終わり、50%が13連する?

そこには理不尽な運と確率の「暴力」が存在し、
それをねじ伏せる何かを持った者も存在する。

ロジックじゃない要素もこの世界にはあるわけです。

だから数ある趣味やギャンブルの中で
このパチスロの世界に惹かれ囚われる人が
数多幾千幾万星の数ほどいるわけで。

そんな中、僕は己が持つ「力」を
見極めるのが生き残る道だと考えています。

これまで色んなタイプの
この道で名を聞く猛者を見てきましたが
完全無欠の猛者はまずいない。

博識と豪運と堅実の全てを
持ち合わせる人は少ない。

一方、どれかを研ぎ澄ませた勝者は確実に存在する。

だから「力」とは自分が有利に立てる能力、
それを自覚して遂行する精神力のことだと考えています。

とまあ難しいこと言ってますが、
「こんなもんは打って当たりゃあいいんだよ!」と
レヴィも言ってるくらいでして。

最近僕が思うのは、
当たらない場合に
それでも当たるまで打つのか、
当たらないなら打つのを止めるか、
というシンプルな2択だったりもします。

 

 

じく「【記憶力】って?(その1)」

 

 

医学的な見地はさまざまですが、
最近自分の記憶力の衰えを感じます。

具体的に言うと、

・固有名詞が出てこない。
・昨日の食事が何だったか思い出せない。
・朝「シャンプー切れたから買っておこう」を夜に忘れてる。

など。

こんな時、
「ああ、俺の脳細胞も死滅の一途を…」
とかヘコんだりするものです。

学生時代に受験勉強で
アホみたいに覚えた英単語・年号・公式。
間違いなくあの頃は人生で
最大の記憶力を誇っていた。

でも、ちょっとまて。
これって本当に歳のせいか?

今でもいろんな台の
弱チャンス目のCZ当選率とか普通に覚えてたり
レア小役の出現率が意識しなくても頭から湧いてくる。

ようは、必要に迫られることだけ
記憶して残りは覚えない選別をしているだけでは?

確かに受験勉強は
それが人生の中で最大の目標だったわけで、
自分の心理も周りの環境もそれだけのためにあった。

一方、今は
会社に行けば仕事に関することは覚えている。
一歩職場を出れば、スロとアニメのことで頭がいっぱい。
(自分で書いててツラい、生きててゴメンナサイ)

まあその、
不必要なことは覚えない
必要でなくなったことは忘れる
という術を長く生きてきて
自然と身に付けたのだと思います。

同時に
自分にとってそれほど大切でない名前、
自分の食べた食事の内容、
さして無くても困らない買い物候補、

これらも結局
「覚えてないということは自分にとってプライオリティは高くない」
ということなのだと納得します。

ただ、それでも身体機能として
「短期記憶」の保存期間や容量は
確実に年齢を経て衰えてきたことを実感します。

5分前、1時間前に何をしようとしていたか
パッと忘れてしまう。

脳の仕組みがどうなっているか分かりませんが、
これはPCにおける
RAMとHDDとCPUみたいなものかと。

RAMはいろんな作業をするのに必要な
「机の上」みたいなもので
揮発性のある保存領域です。

このRAMが狭くなったり
揮発性が高くなってしまうのは
機能の衰えとして仕方が無い。

一方、HDDは大量の保存領域を持つ、
情報の「引き出し」みたいなもの。

その代わり引き出しのどこに
必要な情報が入っているか探す必要があり、
RAMのように机の上のものをすぐに見つけるより
時間が掛かります。

CPUはその処理を司る司令塔。
まさに情報を操る頭脳そのもので、
情報をいかに効率的に導き出すか
まさに処理速度の違いが出る。

で、どうやらRAMは明らかに衰えてきた。
HDDは確実に蓄積されている。
あとはCPUを常にハイスペックに保てるか、だ。

ロジック、論理的思考、発想の転換。

それを用いてバラバラに散乱した情報を
つなぎ合わせて引きずり出して
今求めている答を見つけ出すこと。

そういう意味で、
自分は1973年に生まれて2015年に至るが
あまりに劇的な変化を体験できた、と自覚しています。

(次のコラムに続きます)

 

 

じく「時間浪費と技術介入」

 

 

今回は僕自身も
日頃から考えていることなので
話はまとまらないかも、
という前置きで。

 

自分のブログやこのコラムでも
書いたことがあるかもしれませんが、
パチンコ・パチスロは
時間浪費型の趣味・遊びです。

専業や勝利最優先の人にとっては
台単体の期待値よりも
その回収に必要な時間や
1日1月1年で考えた立ち回りが優先される。

それは多数の試行によって結果が出る
このジャンルの特質からです。

こういったジャンルを
投資として関心を持った人が
アフィ、FX、セドリに流れるのも理解できます。

出自や社会的地位に囚われず効率よく稼ぐ手段。

だからこそ誰もが着目するわけで、
生き馬の目を抜く世界でごく一部の勝者が
他の養分を出し抜いて金を勝ち取るわけです。

最近だとセドリの人達は
クロネコメール便廃止でやってけるのかな?
とか思ったりもします。

ともあれ、こういった人達にとっては
パチンコ・パチスロは手段であって
稼げなければ手を引くのが当たり前。

資金を作った上で卒業、
次の稼ぎへのステップという感じかもしれません。

 

おっと話が逸れちゃいそう。
時間浪費のお話ね。

競馬・競輪・競艇・オートレースと比べると
台に張り付いてなければいけない労力が
パチンコ・パチスロは大違いなわけで。

競技結果への賭けは
行為そのものは数秒でできちゃうからね。

どちらかと言えば時間浪費型には
これらのギャンブルはカテゴライズされない。

ただ時間浪費の反対を突き詰めてしまうと
「WIN or LOSEの抽選機を用意してクリック」という
仕組みを用意するだけでいいだろう、
ってなことになってしまう。

上記の公営競技だって
1日10レースじゃなくて5分に1回開催されてたら、
なんて考えると分かりやすい。

もう忙しくて予想なんてやってられなくなるでしょw

 

そして、楽しくなんてなくなるでしょ?

 

 

そう、公営競技だって
予想という時間を掛けてお金を掛けて
その勝負の行方を占っている。

パチンコなら釘、パチスロなら設定を予想し
その自分の判断が正しいかを試している。

時間浪費型趣味の正体って
「過程を楽しむ」
ってことなんだよね。

過程に対する結果への信頼度を高めることが
知識・経験を動員した「技術介入」の正体で。

なのでこの「過程」を
遊びと捉えるか、経済活動と捉えるか。
そこで趣味なのか投機なのか分かれる。

 

「一番楽しいのは打つ前の朝の胸躍る時」
と言いますが、
これは結果が出る前の過程を
一番満喫している瞬間だからで。

人間ってのは贅沢にできていて
○×白黒の結果を何の脈絡も無く出されるより
「なぜ」「どうして」「だから」を求める。

これって人間が生まれながらにして持つ
「好奇心」「探究心」「冒険心」
みたいなものなのだろうと思います。

 

こういった本能を満たすものは
世の中に山ほどあって
ビジネスも数多存在する。

ただその中で
人が生活を営むのに必要な「金」、
これを代償にして成果を得る。

これを短期的に身分を問わず
満たしてくれるものが
日本ではパチンコ・パチスロだったりします。

 

本能を満たし、金も得る。

別にこれって人生設計をしっかりして
学歴・出世・社会的地位を得て
己の欲求を満たすことと変わらない。

それが長期的スパンに
立っているかどうかの違いだけであって。

なぜか、これが短期的な手段である
ギャンブルだと後ろ指差されるんだよね。
なんでだろう?

人は一瞬で満たされたり絶望することに
耐えられるほど強くは無いからかな?

 

さて、話がグルグルしてきた。
ホントはこれに
「気持ちよさ」「脳汁」
みたいなことを含めて考えてたいのだけど
それはじっくり整理していきたいと思います。

何で人は勝負に惹かれるんだろうね?

 

 

 

じく「薄いトコロとの一期一会」

 

 

まだパチスロに手を染めて間もない若い頃。

スロ雑誌を読むようになって

「設定6判別完了」

「これで見抜ける特大設定差発覚」

とか、そんなのに心ときめかせたり。

「技術介入100%で設定1でも機械割103%」

「減算値判別で456丸分かり」

とか、そんなのに目をぎらつかせたり。

 

 

こういった知識や技術を習得すれば勝てる、

なんて思った時期が僕にもありました。

いや、これらを武器に勝ってた人はいたわけで

僕はそれらも上手く使いこなせず勝てませんでした。

 

 

そして時が経つに連れて

多少は身に付いてくることもあって

判別が多少は分かるようになってきます。

でも今度は、その判別に騙されるようになる。

 

 

例えば

低設定で1/65536、

高設定で1/4096、

こんなフラグを叩けば、

もう上に間違い無いとぶんぶん回しまくる。

出玉が追いついて来ないのは

「何かの間違い」に過ぎなくて

高設定に間違いは無いと。

 

 

実際は薄いところ叩いちゃった方が

「何かの間違い」だったことに気付かないでね。

自分の中で

「そんなことない」「まだあり得る」

という前向きな気持ちが背中を押す。

ただただ地獄への道を進んでいるとも気付かずに。

 

 

そして、たった1回の「何かの間違い」が

本当に「間違い」だったことに気付いた時には

取り返しの付かない負け額を抱えている。

「騙された」と。

何に騙された、って自分に騙されたのにね。

希望、光明、確信、不安、疑念、焦燥、混乱、絶望。

パチスロと向かい合って

これだけ心理が動いていくわけです。

 

 

そんな経験を積んでしまうと、

1回くらい設定差のあるところ叩いても

「ふーん」としか思わなくなる。

やはり複数回は起こらないと信用ならない。

要素自体も多岐に渡ってないと

「だからどうした」としか思えない。

諦観から入るパチスロ。

これの方が何かとケガが少ないのは間違いない。

 

 

ただ長らく打ち続けてしまうと

低設定で設定差要素を

複数回叩いてしまうことだってあることを思い知らされる。

「さすがに」「なんで」「でも」「まさか」

とっくに悟ったはずなのに惑わされる。

 

 

ここら辺まで来ると

目の前の台の判別、というものに

諸行無常を感じ始める。

こうなると、やることが大分シンプルになってくる

 

 

レバーを叩く。上手に叩く。

設定6を打つ。店長が6に設定した台を打つ。

もうこの2つしか無くなる。

希望とか絶望とか通り越しちゃって

これを繰り返すだけになる。

 

 

ここまで来たら

卒業するか、一生打つかの

決断の時がやってくる、のかな。

 

 

もう僕はペースや内容が変わるにしても

パチスロを打ち続けるに違いないので、

とにかく楽しみ方や付き合い方を考える。

 

 

だから設定判別もするし

店のクセや当日の状況も観察するし

ヒキに一喜一憂する。

調子よければ気分よくなるし、

ヘコめば距離を置いて調整するし。

 

 

薄いところを叩く、

とは良く言ったもので

実はどんな役も大量の乱数から叩きだしたもの。

薄いところの集合体で抽選はできあがってるわけで。

人生は一期一会なんて言うけれど、

パチスロはそんな一期一会を凝縮したものなわけで。

だからあんまり不満を言うものでもないでしょう、と。

 

 

 

 

と。

そんなことを

設定判別が上で

ボロ負けをする日々を送りながら

考えてました。

 

ええ、普通に悔しいしグチも吐く

悟りには程遠い凡人なわけです。

 

 

じく「カジノのお話 その2」

 

 

カジノの花形、スロットマシン。

ズラッと並んだジャックポットマシンで
7が揃うとけたたましいベル音とともに
ジャラジャラとあふれ出す輝くコイン。

一晩で一攫千金を手にできる
夢に満ちた魔法の玉手箱。

ま、実際は金を吸い尽くす吸引貯金箱だけどな!
二度と取り出せない一方通行式の。

てなワケでカジノに並ぶスロットマシン。

これとみなさんが打っているパチスロ、
回胴式遊技機との違いをいくつかご紹介します。

●ボタン押すだけ

これは知ってる人も多いはず。

ゲームセンターのメダルコーナーの
スロットをイメージしてもらってOKです。

ほとんどのスロットマシンが
BET=STARTボタンを1回押すだけで
レバーも叩かないし、リールを止めるボタンも押しません。

一度始まれば自動的に止まるシンボルを見守るだけ。

パチスロを打つ人たちにとっては
何て味気ない自力感の無い遊技だと
思われるかもしれません。

でも、海外のカジノスロットを楽しむ人たちにとっては
何てめんどくさいゲームなんだこれは!
という感想が一般的です。

ただ、極めてたまーに
日本のパチスロの緻密さとクォリティの高さに気付いてしまって
ずっぽりハマってしまう外人さんもいますけどねw

●主流はビデオスロット

ちゃんとした統計は調べてませんが、
どちらかと言えば実際のリールが回るものより、
ビデオ画面で擬似的に見せているスロット機が多いです。

ビデオスロット、最近のパチスロで言えば
カイジ、プリズムナナとか。ななみさんとかボトムズとか
新しい2027もそうだったかな。

ただパチスロの場合は、あくまで演出であって
ドラムが付いてるわけで。
言ってしまえばアルゼのバズーカ筐体、
バジリスク2や絆、GODシリーズだって似たようなものです。

それに対してカジノのビデオスロットは
純粋にビデオ画面だけで完結しています。

それじゃ客に対してどうにでも見せ方インチキできるのでは?
と思われるかもしれないけど、
リールストリップ、パチスロで言えばリール配列ね。
ビデオスロットでもリールストリップはしっかりと決めてます。

ただし、叩いたフラグ次第で
“WILD”というオールマイティ図柄が出るとか
そういうフィーチャーは色々ありますが。

大まかな傾向として
IGT、Williams、Aristcratはビデオがほとんど、
Bally、Konamiはリールも出してる、
ARUZEはリールもかなり出してる、
といった感じでしょうか。

●1ゲーム完結

パチスロにはゾーン、天井、高確率といった
次のゲーム以降にも影響を及ぼす要素がいっぱいあります。

これらは全て状態やフラグの持越しが
パチスロで許されているからこそなんです。

今の一般的なパチスロは
小役フラグは該当ゲームのみで消滅。
一方、ボーナスフラグは一度成立したら
揃えるまでそのフラグは消滅しません。

考えてみたら、
揃え損なったらアウトのジャグラーとか
痺れますなw

ともかく
「状態やフラグの持ち越し」といった概念がありますが、
これがカジノゲームでは基本的に禁じられています。

理由は技術介入や人為的な行為で
特定のプレイヤーが利益を得ることをNGとしているから。

パチスロではハイエナが当たり前のようにありますが、
これはかなり特殊な文化です。
それに限らず技術介入とかも、カジノではありえないんです。

ただし、それだけでは面白く無いだろうということで
「ボーナスゲーム」の存在は認められています。

例えばカジノスロットの主流として、
その1ゲームでボーナス図柄が3つ以上止まるなど条件を満たすと、
図柄当選しやすいFREE GAME(BET無しで遊べるゲーム)を獲得できます。

一定数のFREE GAMEをプレイできるのがBONUS GAMEで、
得てしてBASE GAME(通常プレイ)ではメダルは減り、
BONUS GAMEで増やせる、というパチスロと似たシステムです。

ただ考え方としては、そのBONUS GAMEも
BONUS GAMEを揃えた1ゲームでの間での出来事、
という扱いになってます。

ま、何事もルールがあって
そのルールに対してあれやこれや考えるのが作り手なわけです。

●メダルはジャラジャラ出てきません。

テーブルゲームではチップが扱われていますが、
スロットマシンでは仮想現金となるメダルは使われません。

全て「チケット」「バウチャー」と呼ばれる
金券レシートが扱われます。

マシンは紙幣かチケットを受け入れ、
払い出しはチケットで行われます。

そしてチケットは自動換金機かカウンターで現金化します。

今でも場所によっては
コインオペレーションが行われているカジノもあるかもしれませんが、
今ではAUDITと呼ばれる内部的な管理メニューに名残こそあれ、
ほとんどその形態は姿を見せなくなりました。

まあ極端なことを言えば、
100万ドルのチケット1枚、ってなこともあるわけで。
パチスロでも交換前のレシートなら同じですね。
当たり馬券・舟券・車券もそうかな。

ただしスロットマシンの場合は
パチスロと違って1ゲーム最高払い出し15枚、とかありません。
1ゲームでギャンブルが成立する代わりに
その上限が細かく規定されていません。

たった1ゲームで天文学的な確率を潜り抜け
100万ドルのProgressive JACKPOT当選とかあるわけでして。

ただそれを流石にたった1枚の
ペラペラした紙でやり取りするってどうよ?
ってなわけで
一定額以上の当たりは
ATTNADANT PAY(係員により払い出し)になります。

もし海外カジノで遊んでいて当選した場合は、
当選時に税金処理などの書類を書く必要も出てきたりします。

●機械割100%越えはありません

前にも書きましたが、
スロットマシンに設定されているRTP(Return To Player)は
高くて90%半ばです。

ラスベガスストリップやマカオのリゾートホテル内など
観光客向けのカジノではもっと低く設定されているでしょう。

1ゲーム完結でハイエナ要素なし、
RTPは90%以下。

つまりスロットマシンは
打てば打つほど負けるようにできています。

ただし1ゲーム完結だからこそ、
完全確率計算の中で生まれる一攫千金も存在するわけです。

そして、勝ちにこだわるスロッターのみなさんにとっては
さらにトドメの情報が。

●カジノは新規導入時以外、設定を変えられません

パチスロは設定を追うのが醍醐味。
そして日々店が仕込んでいく高設定を
いかに探しだして打ち込むかが勝負なわけですが。

一方、カジノのスロットマシンの場合は
新規導入時に決めたRTPを基本的に変更できません。

導入時には管轄する役所の認証が必要で、
その中には設定したRTP情報も届け出る必要があります。
(変更可能かやその方法は各国・州のレギュレーション次第です)

つまり一度台がRTP90%で設置されたら、
その後はずっと90%なのです。

なぜ? というとカジノ経営は
本当に金の流れがガラス張りである必要があり
国・州側もカジノのRTPを把握した上で
税金を徴収しているからです。

ちなみに各カジノのRTP情報については
専門誌などに一般公開されています。

●「ギャンブル」か「遊戯」か「遊技」か

日本のホールと比べると、
カジノは圧倒的に業態がクリアです。
そもそも法律でギャンンブルとして認められているわけですから。

日本の三店方式とはまるで状況が異なります。
警視庁の偉い人が国会に呼ばれて
「パチンコの換金など存在しません」
と堂々と言って議員から失笑を買うとかあり得ない訳です。

そして、パチスロ・パチンコは
技術介入や立ち回りが有効な時点で
「ギャンブル」ではありません。
ギャンブルを
「純粋な運を試して金を賭ける」という意味で考えた場合にね。

今、日本では
カジノを認める認めないなんて話が繰り広げられていますが、
「パチスロ」と「カジノのスロットマシン」は
全く別物と考えてください。

少なくとも投資・回収・余剰・欠損など
勝利を前提としたものではないということ。

ただその上で、一発当てるとデカい
大味なカジノの世界や文化を体験してみるのは悪くないと思います。

90%、90%って言ってますが、
客全員が均等に90%負けて変えるわけでなく
ある客がオケラで帰り、ある客がボロ儲けして
帰ることが当たり前なわけで。

それに比べればパチンコ・パチスロって
下見・情報収集・実戦時間、
どれをとっても勤勉さが要求される遊技です。

「遊戯」じゃなくて「遊技」ですよね。
そして「ギャンブル」でなくまさに「遊技」かと。

何かとパチで稼ぐとか
遊んで金儲けのように悪く言われますが、
実際は定時で働くサラリーマンより
はるかに働いてる。
それも色々なリスクを背負ってね。

それと比べれば、
カジノはもう純粋な遊び、ギャンブルになります。
そこら辺さえ捉え間違えなければ
将来、日本にカジノが設置されても
打ち手の皆さんが選択や立ち回りを間違えることは無いでしょう。

●ニュースとかで聞く「インバウンド」って?

むしろね、自分は今別のことを考えてます。

カジノができることで
海外のギャンブル好き観光客が
日本に来ることは当然増える。

それをパチスロ・パチンコにも取り込めないかと。
当たり前のように外人さんがホールに出入りする。

GODシリーズとかmathは案外
カジノスロットに近いのではないかと。

※math
mathmatics(数学)の意味から。
日本のパチスロで言う「出玉設計」で
例えば同じRTP100%だとしても
どういう仕様でどういう出玉の波を描くか
しっかりとした確率計算された仕組み。

インバウンド対策(ここでは訪日海外観光客の意味)として
バイリンガルの店員や外国人向けカウンターを
用意しているホールも出始めています。

最近、中国人観光客の「爆買い」が有名ですよね。
あの資本力がパチ業界に向いたら?
中国人の方々って、民族性としてギャンブル好きが多いんです。

マカオでは
今でこそ腐敗防止キャンペーンを
中国政府が展開したことによりVIP客が減ってますが、
ラスベガスを追い抜いた原動力は
まぎれもない中国人観光客のおかげです。

日本のパチスロは
ギャンブル機としてはあまりに複雑になりすぎた
まさにガラパゴス規格です。

なのでここら辺を三店方式と合わせて分かりやすくできれば
インバウンド取り入れも現実的ではないかと。

東京オリンピックやその後に
日本にカジノが設置されるか、
そしてホールに外国人も来るようになるか。

果たしてその風景が
これまで日本のパチスロを楽しんできた自分達にとって
望むべき姿なのかは分かりませんが、
右肩下がりのこの業界の支えになる可能性を
最初から排除してはいけないと考えています。

じく「カジノのお話 その1」

 

 

もう国会に法案が提出されるとかどうとか言われて
結構な時期が経つ、日本のカジノ。

当初は東京オリンピックに間に合わすという話が、
もはや間に合わなさそうなので
五輪終了後に照準を合わせているとか。

まあ、そこら辺の政治的な話は
新聞やwebを調べれば辿り着けるので
日々変化している状況を
興味がある人は追ってみてください。

最近のホットな話題は、
関西の大阪商業大学で非常勤研究員を務め
大阪のIR関連を牽引していた方が
「リベンジポルノ被害防止法違反」と「名誉毀損」で
逮捕されたことでしょうか。

自分もこの人が参加していた公開講座を
大阪まで行って受講していたのでかなり驚きました。

なぜ、このタイミングで?

……おっと、誰か来たようだ。

 

 

さて、これは回胴連のコラムなので
ただカジノ事情を書くだけでは意味がない。

初歩的なギャンブルとしての側面をいくつかお話します。

 

 

【一発で勝負が決まる】

テーブルゲームで言えば
バカラ、クラップス、大小、ブラックジャック、ルーレット、各種ポーカーなど。

電子メカゲームで言えば
スロット、ルーレット、ビッグホイール、など。

多少の違いはあれ、
指定された最小ベット額から最大ベット額の範囲で賭けて
その場のゲーム一発で結果が出るのが
カジノのゲームの基本です。

例えば大小。

3個のサイコロが振られて
10以下なら「小」、11以上なら「大」。
当てたら1:1でベット額が2倍になります。
(ただし、ゾロ目が出た場合は漏れなくハズレ)

至ってシンプルなわけです。

100万円持ってカジノ行って、
大小1回当てれば200万円です。

ね、シンプルでしょw

 

日本のパチンコ・パチスロが
思いっきり時間浪費型の遊戯(という名のギャンブル)なのに対し、

カジノは最もシンプルな一発勝負形のギャンブルなわけです。

 

 

【誰にでも公平なギャンブル】

パチスロには設定、パチンコには釘がありますが、
カジノのギャンブルでプレイヤーによる
「勝ちやすい」「負けやすい」の差は基本的にありません。

テーブルゲームだったら、それぞれのルールに則った
RTP(Return To Player)があります。
日本風に言えば「ペイアウト率」といったところでしょうか。

これがテーブルによって変化することは無いわけです。

※対人戦ポーカーだと話は変わります。

 

ブラックジャックやビデオポーカーなど
ベーシックストラテジー(基本戦略)から逸れなければ
かなり100%に近いRTPで遊ぶことができます。

なので、そういった基礎知識は必要ですが
ゲーム自体は誰にでも公平です。

ルーレットなども昔はディーラーが手入れで球を投げ込み
思い通りの数字を出す、なんてのもありましたが
最近はルーレットマシンで人の手を介さないゲームが多いです。

カジノの風景としてズラッと並ぶスロットマシンがあります。
あのマシンの中で、当たりやすい当たりにくいといった
差は基本的に存在しません。

「あの台そろそろ当たりそう」とか
「あれは当たったばかりだからしばらく当たらない」とか
そんなことはほとんどありません。

少なくとも技術介入や設定を予想しての台選び、
なんてものはカジノのゲームマシンではほとんど意味がありません。

ほとんど、というのが少し微妙なのもあったりするのですが
とにかく純粋な「運」で結果が出る「ギャンブル」と考えてください。

 

 

【RTP100%以上は存在しない】

日本のホールに行けば、
機械割100%を越える設定のパチスロ台や
ボーダー越えのパチンコ台に
巡り会えることもあります。

さらに情報収集と立ち回りで
それを掴みとることも出来ます。

一方、カジノでそれはありえません。

だって、どんなテーブルゲームもゲームマシンも
RTPは100%以下だから。

JACK OR BETTERのビデオポーカーで
完璧なストラテジーでプレイしたら
もしかしたら100%に近くなるかもしれませんが、
基本的に90%台、もしくはそれ以下しか存在しないんです。

もちろん大数の法則に則った話ですよ。
短期的な一発勝負で必ず負けるとは言ってません。

むしろ、大きく長い目で見れば
必ずプレイヤーが負ける仕組みの中で
確率のブレであるデカい一発を狙えるのが
カジノギャンブルの醍醐味でもあるわけです。

 

 

【JACKPOTとProgressive】

カジノに行くと、スロットマシンが並んでいる上に
ずっと増え続けている巨大な金額表示のメーターがあるのを
ご存知の方も多いと思います。

あれ、多少の呼び方の違いはあれど
「Progressive Meter(プログレッシブ メーター)」
と言います。

よくあれのことをJACKPOTと呼ばれるのですが、
正確にはあれだけがJACKPOTではありません。

JACKPOTって本来「大当り」の意味に過ぎないんです。
どんな仕組みやルールのギャンブルでも
カジノにおける「大当り」がJACKPOTなんです。

 

じゃあ、あの巨大メーターは何なのかと言うと、
プレイヤー達の掛け金の一部が累積されて貯まっていく
「Progressive」という仕組みによってプールされた額です。

あのメーター、カジノに行けば分かりますが
増え続けているのがほとんどです。

極端なことを言えば、
対象となる台が稼働していなくても
メーターは動き続けてたりします。

なぜかと言うと、
あれはカジノに存在する数少ない「煽り」なんです。

今でもProgressiveは増え続けているよ、
当たればこれがもらえるんだよ、という煽り。

その為にあのメーターは回転速度が調整されていて
現時点でのProgressive額よりはるか手前の数値で
ゆっくりと増えています。

 

具体的に言うと、
ある時点でのProgressive額が「$150,000.00」とします。
でもメーターは「$132,489.13」から「.14」「.15」と
小数第2位からどんどん数値が上昇しています。
本来のゴールに向けて、メーターは上昇し続けていますよ、
という意味なんです。

言い換えると、表示をわざと遅らせて
貯まり続けている期待感を煽っているわけです。

 

 

では、
部分的なカジノギャンブルのお話をしましたが

次回はおそらく皆さんが最も興味があると思う、
カジノのスロットマシンと回胴式遊技機の違いを
いくつかご紹介します。

 

 

じく「回胴連クロニクル chapter.9【一軍へのハードル】」

 

 

前章の続きです。

一軍昇格条件の一つ、
「アメブロ総合ランキング月間7777以内」
という発表されて約1ヵ月後。

2013年2月5日のハヤタ君のブログ。
記事名は「回胴連一軍昇格条件」。

まだ読んだことの無い人は、一度読んだ方がいいです。

一言で言えば「檄文」。

何お前ら始まる前から
無理とか言っちゃってるんだ、っていう。

 

更新を欠かさないこと。

他のSNSも利用すること。

アクセス解析からヒントを得ること。

 

努力を欠かさず、誰かに助言も求めていいから
最初から有名じゃないと諦めないでやってみなさいと。

 

これを見て、自分は初めて関心が沸きました。

正直、一軍というポジションには別に関心はありません。

ただ、これは課題でありゲームであり、
向こうから仕掛けられた喧嘩のようなもの。

 

 

ここで一つ言っておきたいことがあります。

何かしらに挑戦するときに
「自分には何も失うものが無い」
と自分を鼓舞するような言い回し。

 

コレ、ウソです。

 

挑戦のために払う努力、時間、労力、
すべて対価です。

そして失敗したときの精神的苦痛は十分なリスク。

つまり、何事にも挑戦するという行為にノーリスクは無いんですよ。

 

 

その上で、自分は考えました。

これまで継続的にブログを続けて
読者を確保してきた人でこそ現実的なハードルに
無名の自分が挑んだらどうなるだろう、と。

 

では、ここからは自分の場合です。

まず、条件の吟味。

「アメブロ総合ランキング月間7777以内」

継続してとは言ってない。
いわば最大瞬間風速で構わない。

 

 

次に方法としてのセーフ・アウトのライン。

まず読者拡張行為として、
ツールはアウト、手動はセーフと考えました。

当時で言う自動ペタ、
最近の自動いいね!や自動コメントツール、
これらは自分としてもアウトだし、回胴連側も認めないだろう。

そこで回胴連に登録している人のブログや
パチンコ・パチスロジャンルのブログを訪問して
読者登録とメッセージを送りました。

すべて手動、そして登録と同時に必ず添えるメッセージは
必ずブログを読んでの感想を個別に書きました。

あと絶対に「自分のブログも見てください」とは書かない。

みなさんはアメブロの自動コメントツールの文章、見たことあります?
バカの一つ覚えのようなワンパターン。
コピペ同一文章の当たり障りなく通じそうな内容で
最後は自分のブログも訪問してください、と締める形式。

あれ、一発でバレるのに使う人の浅はかさに頭痛いです。

なので、間違ってもそんなものは使わず
実際に読んでいることを分かってもらうメッセージを送ります。

 

次にSNS、自分はtwitterでした。

これは単純にフォローしまくって
アメブロ記事アップがtwitter上に出る設定にしました。

未来記事だとその設定が効かなくなるので
下書きを書き溜めた上で手動でアップします。

 

一方、SEO対策はあえて踏み込みませんでした。

これはもう、ゼルさんが得意中の得意分野で
ゼルさん自身のブログで今までも語られています。

その点、自分は限られた時間、
勉強する時間コストを含めて
自分は「書く」方を優先することにしました。

ただ、これは効果があることは
完全にゼルさん自身が立証済みです。

 

 

一方、記事の書き方。

まず僕自身のルール、縛りとして
「パチスロのことを書く」
を基本的に徹底しました。

いわゆるメシログや日常ログは書かない。

それは僕自身が他の人のパチスロブログで嫌だから。

見知らぬ隣りの山田さんが今日打ったスロの話なら気になるけど、
見知らぬ隣りの山田さんの今日食べた晩飯の話はどうでもいい。

まあ、これは自分だったら嫌だからというこだわりの部分です。

 

 

記事アップのペースは、できれば1日3回。

一般社会人の通勤時間帯、昼休み、就寝前です。

最低でも1日1回はマストですね。

で、読者数が少ない以上は
その数少ない読者に何回も読んでもらうしかない。

ならば、その読者がスマホやPCを立ち上げて
ブログのチェックリスト(タイムライン)の上段に残りやすい時間帯を考えた方がいい。

自分は夜に上げるほうが多かったけど、
朝・昼の方が効果的だと思います。
単に他のブロガーのアップが少ないから、ってことで。

ただ、仕事帰りのエナ稼働なんかは、リアルタイムで上げたりしましたね。

 

最後に週末。

必ず稼働して、本来ならばTwitter向きのナウ系記事を
ブログ上にアップします。

もう読者の方に時系列を追ってもらい
稼働の行方に興味を持ってもらう感じですね。

 

 

こんなことを自分は1ヶ月だけやりました。
2月が1年で唯一の仕事の閑散期だったこと、
生活にかなりの無理がかかり1ヶ月が限界と感じてたこと。

本来は何より継続と面白さが
ブログを評価してもらう大切さです。

でも、
無理な喧嘩を買って
無名な自分が勝つために
1ヶ月だけ無茶をしたわけです。

 

結果は運良く達成できました。

が、これは一軍になりたくて挑戦したのではなく
果たして課された条件を達成できるか?
という好奇心と反抗心でした。

なので、今自分は一軍ですが
一軍の立場にこだわりはありません。

肩を叩かれればいつでも降りますし、Tシャツも返上します。
僕は文字屋で演者ではないので、動画も向いてないですし。

それよりも、
回胴連やブログで広がった交流や人脈、
たくさんの知り合いが大切で、
そのきっかけとなった回胴連に感謝しています。

 

 

さて、回胴連クロニクルも前半戦はここまで。

次からは普通のコラムに戻り、

頃合を見てクロニクル後編を再開します。

じく「回胴連クロニクル chapter.8【一軍・二軍・テスト生】」

 

 

回胴連には、
テスト生・二軍・一軍と階級みたいなものがあります。

ブログのアクセス数や記事数などで条件付けられているものです。
詳しくは回胴連HP内の「選手」を見ていただくとして。

 

まず、このネーミングは野球からなのは明白で
そしてこの発想はおそらくオブザーバーである
しんのすけさんの発案かな? と。

こういった階級分けをするということは、
競争や向上心を高める効果があります。

回胴連自体が大きく強くなるためには、
所属するブロガー1人1人の発信力を高めることが
何より大切だと。

そういった考えの元に取り入れられたシステムでしょう。

同時にこういったシステムは
やっかみや嫉妬などネガティブな思いも生みやすい。

そこら辺も覚悟してのことだったと思います。

 

ただ、実際に一軍になったことで金銭が発生するわけでもなく

・公式HP上でのリスト上の紹介
・記念Tシャツ授与
・公式HP上でのコラム掲載(これは比較的最近)

というもので、基本は「名誉」のみ。

ここら辺で極度に扱いの差を設けなかったのも
今となっては良かったのかなと感じます。

 

さて、振り返ること
2012年12月30日の第1回「回胴連大忘年会」。

ここで発表されたのが、
それまでテスト生や二軍という形で
回胴連に登録されたブロガーの
一軍への昇格条件でした。

・アメブロ総合ランキング月間7777以内
・回胴連お題記事4部門中2部門を受賞
・何かしら一芸

普通に考えて、「7777位以内」というのが
とんでもなく高いハードルです。

これはパチンコ・パチスロジャンルに照らし合わせると
おおよそ100位以内。

今でこそ100位以内に
回胴連ブロガーの姿も多くなっていますが、
実際にランキングを見てみると
ほとんどがライター・ホールブログ(あと不法勧誘系)で
占められていることが分かります。

そんな高いハードルを、
ただパチスロが好きなだけで
何となくブログ始めて回胴連に登録した一般スロッターが
越えられるものかと。

 

正直、この話を最初に聞いた時

「あー、やっちゃったな回胴連」

と思いました。

 

高すぎて現実的でない目標は、むしろヤル気を失わせます。

「頑張れば何とかなるかも?」

くらいが丁度いいんです。

 

段階を端折りすぎ、選手(ブロガー)を突き放しすぎ。

これ、すでに1軍クラスのブロガーと
そうでないブロガーの間で格差が生まれて
温度差がそのまま
回胴連離れにつながり失敗につながるぞ、と。

自分自身、お題記事というブログの選定や紹介は
とてもポジティブに捉えてましたが
この一軍選手制度は「?」でした。

そんなことを思いつつ、とあるブログ記事を読むことになります。

(この章、続きます)

じく「回胴連クロニクル chapter.7【お題記事】」

 

 

このシステムが無かったら、
間違いなく自分は回胴連に入らなかった。

パチスロに関してブログ上で記事を書き、
それを選出して論評する。

これをしっかりとした組織が責任を持って行う、
というのは今までに無いものだった。

個人的には
立ち回りも台読みも判別のセンスも無いのは自覚しているが、
文章で何かを伝えることは挑戦したいことだったので
知ったときからお題記事に投稿することに躊躇いはなかった。

 

とにかくパチスロというもは余りにも個人競技で、
広がりを持っても稀に周囲に同好の士がいるか、
ホールで運良くキッカケを持って交流を持つくらいしか、
互いを語り合うなんてことは無い。

そこを補填するコミュニティに「投稿」というシステムを
プラスしたのは効果的であり、
これこそが回胴連が回胴連たる由縁だろう。

 

で、このお題記事。
基本的には選出されることで
何か賞品が出たりすることは無い。

いわば「名誉」だけ。
選ばれることの露出が、その副産物。

付け加えれば一軍への昇格条件などもあるが、
それはまた後々記すことにしたい。

 

じゃあそれだけでわざわざ記事を書いて
投稿なんかするものか?

といったところだが、
人は人に見られたり評価されることが
結局のところ好きなのだ。

それに「わざわざ」と書いたが、
他の投稿行為と比べればハードルは全然低い。
とにかくPCかスマホで書けばいい。
個人情報もさらす必要は無い。
ある意味、無責任に投げてしまえばいいのだ。

 

さて、ここからは何となくの
記事を書くにあたってのアドバイス。

いや、アドバイスというのは上から過ぎる。
自分は選者でも何でもないし。

「こうしたらいいかも?」
くらいに思って欲しいかな。

お題記事に限らず、スロブログって?
みたいな感じたことを連ねます。

 

 

●写真を撮ろう

「一発写メ」は写真onlyだけど、
記事一般でも、今では写真掲載はごく普通。

そしてホールでスマホや携帯を構える風景も今では当たり前だし、
そんなに恥ずかしい行為ではなくなってます。

だから、撮りましょう。
撮りまくりましょう。

例えばですが先日、
自分がブラックラグーン2を
幸運にも開店から閉店まで打てた時は、
写真234枚、動画3本を撮りました。

(その結果7500Gしか回せなかったのは代償として諦めますw)

何でそんなアホみたいに撮るのか?

一つは数を撮らないと
いいシーン、いい写真が選び出せないから。
しょせん素人ですし、
ましてリールや画面など動くものが対象なので難易度も高い。
言い換えれば、いっぱい撮っていると
奇跡的な1枚が埋もれている場合もあります。

もう一つは、文字通り「記録」になるということ。
人間の記憶力には限界があります。
ましてや無我夢中で打っていたら、
その時どんな展開で何が起こったか
正確に思い出すのは難しいもの。
そういった記憶の補填に、写真は最適です。

 

 

●目標を持って打とう

何だか、○○教室みたいで書いてて自分で吐きそうになりましたがw

そんな小難しいことをいってるわけではないんです。

打つにあたって狙いを定めておくと、
話を広げやすいんです。

例えば、プレミア系の演出を出したかったとする。

もし出せたらおめでとう、それだけで話の筋が1本できます。
出せなかったらおめでとう、狙ったけど出せなかった話が書けます。

それだけのことなんです。
目標を決めると、成功でも失敗でも物語が生まれるわけです。

で、この目標が他人とは異なる一風変わったものだったり、
それが興味をそそられることや爆笑ものだったりすると
必然的に魅力的になります。

また一周して、
ごく普通の稼働で勝ちを目指すものだけでも
その心理や行動理由を細かく記すことで
ドキュメンタリー的な魅力があります。
特にパチスロでは効果的な手法の一つです。

何でもいいと思うんですよ。
他の方に迷惑さえ掛けなければw
目をつぶって打ったって、空気椅子で打ち続けたって。
全ツなんて男気を見せる王道だし、
この世界には負け稼働で「メシウマ」という文化さえあります。

 

 

●オチをつけてみよう

狙ってつけるオチというのは
どこか人為的で臭い気もしますが、
漫才でも落語でも必ずある、王道の手法です。

これは何のためにあるのかと言えば、
「読後感」
ただこれの為です。

どんな話でも文章でも、やはり最後がもっとも記憶に残りやすい。
ここで気持ちよく感じさせれば、全体の印象が良くなります。

もし、これが連載モノだったら
「オチ+伏線」が理想ですね。
次も読みたいと思わせなければいけない。

ただ幸いにしてパチスロは勝負事なので、
「勝ちました」「負けました」で
とりあえずのオチは付けられます。

その時の結果自体が衝撃的だったら、
そのまま書けばいいかと。

普通だったら、
それが自分にとってどういう結果か語ればいい。

まあ「オチ」というと技術的に感じますが、
自分なりの「〆」を意識的に残すといいと思います。

これは間違いなく、
多く読まれているブログのほとんどに見られますよ。
特にこの〆やオチに、その個性が現れていることが多いです。

 

 

●俺スゲーは、君スゲーか?

こんなドラマチックなことが起こって、
こんな写真載せたんだから、みんな俺サマ大絶賛だろ!

って思ってると、意外に反応薄くて凹みます。
僕もよく凹みます。

ただブログというものは自由で、いわば「文責」がない。
だから何を書いてもいいんです。
自慰行為でも構わない、読む読まないも自由。

それも承知の上で、
起こったことや書いていることが
他の人から見てどの程度のインパクトがあるか
考える時間を持つといいです。

これはある意味、バランス感覚が問われます。
また一般的な認識を知っているかも絡みます。

例えば
BINGOでフゥアフゥアすること。
サラ番で天井持ってかれること。
ハーデスでGOD引くこと。

本人のその日の出来事としては大きくても、
他の人から見れば「ふーん」で終わるレベルだったりもするわけです。

そんな時は、表現の仕方を考えればいいのではと。

それでも自分にとって大事件ならば、
その気持ちをそのまま伝えればいいし。

工夫や手法は何でもいいのですが、
「これって読む人にとってはスゴイこと?」
と自問自答すれば、
自ずと伝え方も導き出せると思います。

 

 

●物語にしてしまう

少し偏った考えなので、これは人それぞれで。
特に打つことより記事を書くことが目的になってしまうからw

前述した「目的を持つ」にも絡みますが、
自分をお話の主人公とでも思ってください。

そして目の前で起こるできごとが、
一つ一つの話の展開と思ってください。

それだけでちょっとしたドラマが常にあるわけで。

それをつなげていって、
打っているうちからお話の筋を想定してしまうんです。

予想通りいくか、衝撃の展開が待っているか。
結局読んでいる人のほとんどが
「勝負の行く末」を見守っているわけなので。

その行く末には上がり下がりがあるので、
そこを意識しておいて打つ。
忘れないように写真を撮る。

ブログのことを「記事」とよく呼びますが、
記事というのは「取材」から成り立ちます。

だから取材は大切、さまざまな展開を想定して、
記事の材料は豊富に。

メディアで記事を書く場合、
記者は書く前からある程度ストーリーを考えてます。
むしろ、その上に実際起こったことを乗せている感じ。

時にそれは事実を正確に伝えない
バイアスのかかった歪曲記事になることもありますが、
パチスロブログや記事ではそれは少ないだろうし
多少は曲がっても問題にはならないでしょう。

それに想定外のことが起こりまくるのもパチスロなので、
そんな時はそれをそのままつなげれば大丈夫。

どちらに転んでも大丈夫なように
心構えしてから打つといいよ、という話です。

 

 

●それでも、しょせんは他人の評価

その記事は良いか悪いか。
そんなこと分かりません。

お題記事では選者がいて結果が出ますが、
それは万人の評価ではありません。

だからそこは都合よく考えて
選ばれたらワーイと喜び、
選ばれなかったら「刺さんなかったか、ハイ次ハイ次」
と軽く考えるのがいいです。

ただそれでも気になるならば、
選ばれた記事と、それに対する論評を見るといいです。

何が評価されたのか、何が選者に刺さったのか。
これはもう、傾向と対策みたいな感じで。

選ばれることにこだわりを持つなら、
選んでもらうんじゃなくて「取りにいく」のが大切かと思います。

でも、それだけじゃないから、スロブログの魅力は。
面白いとかワロタとかコメントにもらえるだけで、
後からジワジワと喜びがこみ上げてきます。

そして自分で自分のことを評価するのも忘れないであげてください。

「評価」というのは他者が決めるものですが、
それをどう受け入れるかは
自分でしかできません。

むしろ、自分が結果をどう受け入れるかが大事です。
自分で「良かった」と思えるなら
どんな結果だって構わないんです。

何かを目指して努力することは尊いですが、
それが何のためなのかを忘れずに。

気付いたら、何が楽しいのか分からなくなったり
日常生活がブログの奴隷になってしまったりするので、
それだけは気を付けてください。

 

 

●自分探し

自分探し(笑、だよねw

言い換えればオリジナリティですが、
技や芸事を極めるのに「守破離」という言葉があります。

まずは定番や型を守って覚える。

次に自分に合った型を探して定番を破る。

そして定番から離れて破り自立する。

ざっくり言うとこんなことです。

だから最初は誰かのマネがいいかと思います。
それを続けていると
「何か物足りない」
「これ、こうじゃなくてこうじゃない?」
と浮かんでくるので。

そういった試行錯誤を続けているうちに
自分流が出来上がっていくわけでして。

たぶん「破」が一番苦労する時期だと思います。
型を守るだけなら簡単だったのが、
いろいろ見えてきてしまうと行き詰ってしまう。

周囲の意見や他の記事を見ていると
自分に何ができるか、何が書けるか袋小路にはまってしまう。

そんな時は、まず迷う自分を否定しないこと。
試行錯誤を続けること。
そして、自分に責任を持つ代わりに、自分に素直に進むこと。

そうこうしているうちに、
自分では気付かないかもしれないけど
その人だけの「味」が備わってきます。

あとはそれを磨けばいい。
どんな方向性でも、
そこを突き詰めれば一級品です。

特にブログの世界は自由なので、
いい味だらけの一級品がゴロゴロしているなーと
日々思います。

 

 

さて、いろいろとえらそうなことを書きましたが
このことさえも「ふーん」くらいに気軽に思った方がいいです。

だって本当に大事なことって突き詰めると一つしかなくて。

それは「続ける」ことです。

いつでも舞台から降りることができる世界では、
上がり続けることが唯一の正解なんですよ!

じく「回胴連クロニクル chapter.6【試合会場】」

 

 

広告宣伝規制。

いま改めてこの言葉を見ると
「どんだけ時代と逆行してんだよ!」
と笑えてしまう。

インターネットの発達で
単なる口コミやDMでしか得られなかったホール情報が
メール、掲示板、webサイト、SNSで広まるようになったところで

「ホールは自分でお客さんを煽っちゃダメです」

と情報拡散を止められてしまったわけで。

いかにこの業界が
グレーな土台の上に成り立っているかを思い知ります。

いや、少し違うかな。
このグレーであやふやな状態のままだからこそ
いつの間にかぶくぶくと膨れ上がってきた感じ。

そしてその大きくなった身体を自分自身で支えられなくなって
少しずつボロボロと剥がれ始めている。

巨体を支えていたユーザーが減り始めて
ダイエットせざるを得なくなってきた、ということかしら。

 

 

で、そんな中でも
業界の人間は生き残るためにいろいろ考える。

そのうちの一つ。

「ホール自らが宣伝できないなら、打ち手が動けばいい」

そしてこの業界では絶対的にホールが握っていたイニシアチブを
打ち手が掴むことができないか。

なぜそれが今までできなかったか。

それはまた、この業界特有の事情があるわけで。

金の勝ち負けが伴う「遊戯」で胴元は同じ、
自分以外の打ち手は敵で、金のむしり合い。
単純に言ってしまえば高設定の奪い合い。

つまり、ユーザーが手を取り合って協力する、
という動きが極端に起こりにくい世界だということ。

 

他の日本の「ギャンブル」と比較してもらえばいい。
基本はBET式であり、当選者の数を制限するものは無い。
(もっとも払い出し金や還元率はコントロールされているが)

少なくとも、例えば競馬で
「アイツが当たりを取ったからオレが負けた」
ということは無いし、そういった敵愾心は起こりにくい。

 

 

ホールの話に戻ると、
唯一の打ち手の意思の現れは
「出てれば集まる、出なければ行かなくなる」
だけ。

情報と心理の交錯の結果、
唯一にして最大の打ち手の主張が
「行く、行かない」
なわけである。

ただそれも、打ち手側が情報を共有して
大きな影響力と統率力を以って動いているわけでは無いので
結局のイニシアチブはホールにあることに
代わりは無い、ということ。

 

そして話は戻り「広告宣伝規制」。
はっきり言ってこれ自体はクソ以外の何物でもないが、
打ち手側にとってはチャンスだった。

「ホールが宣伝できないなら、
俺たちが宣伝してやろう。
ただし、いいことも悪いことも
ありのままに包み隠さず」

冒頭でインターネットの発達に触れたが
ここに絡む。
以前と違い、
個人やコミュニティの発信力と影響力が
圧倒的に大きくなったのだ。

 

 

回胴連の第一段階としては
ブログを中心とした
パチスロ好きコミュニティの結成だった。

だがその先の目的には、
打ち手が発言力を強めた
ホール・メーカー・ユーザーの新たな関係の構築がある。

回胴連は「試合会場」という名のホールを指名する。

ただ無責任に
「俺たち行くから、よろしくな」
と勝手に撒き散らしているわけでは無い。

それはしっかりとした法人が立っての動きであって、
ホールの広告宣伝を担う、
まさに広告代理店の責を担っているのだ。

そして打ち手は「試合会場」に向かう。
遊びたい、勝ちたいの欲求を満たすために。

 

その上で打ち手の反応が、この仕組みのジャッジを行う。

さすがに打ち手も、
ホールが慈善事業ではないことは分かっているので
個人で勝ち負けが分かれることくらいは理解している。

ただその上で、打ちに行く価値のあるホールだったか。
出玉は見えたか、高設定の挙動はあったか、
ホスピタリティがあったか、そこにホールの意思はあったか。

ただ昨今のパチスロは本当に設定判別は難しく、
設定が出玉に反映されにくい。
もちろん大数の法則としておしなべれば
ホール経営視点では反映されていくが、
打ち手側は毎日打つ専業でも無い限り、それは感じにくいのだ。

ここら辺に、また広告宣伝規制のクソさがまとわりつく。
営業中や営業後の設定発表を禁じられたのは
本当に痛い。

自分の店の商品の確かさをアピールできない商売とか、
普通に考えてありえないわけであって。

 

でも

遊戯という名のギャンブルなわけであったり、
グレーだからこそ成り立っている側面があったり、
規制されているからこそ情報が貴重であったり、
誰もが得られる情報の裏にこそ、
真の価値を持つ情報があったり。

 

実のところ、
話はそうそう単純なわけではないのだ。
フラフラっと打ちに行く場合でも、
気合を入れて攻める場合でも、
そんなことを理解していくと風景が多少変わって見える。

 

打ち手の我々には
「店に行くか行かないか」
「打つか打たないか」
しかできないのだけど、それはとてつもない力を持っている。

ホールが「試合会場」になるというのは
ある意味、晒されるということ。

打ちに行ったら、是非率直な思いを
ブログなどで発信して欲しい。
今なら、今の時代なら、それは十分な影響力がある。

じく「回胴連クロニクル chapter.5【連れ打ち】」

 

 

回胴連というコミュニティの柱、
それは「試合」と「お題記事」の2つであることは間違いない。
今回はそのうち「試合」について。

試合とはいわば仲間内で連れ打ちにいきましょう!
というもの。

そして、回胴連のブロガーが打ちに行くと
宣言しているのだから
きっとお店も頑張ってくれるはず、
というコンセプト。

 

パチスロは基本的に個人競技。
もちろんノリ打ちや軍団もあるが、
ホールに来る客の多数は個人である。

そんな中でお互いに自己責任の収支ながら、
朝から10人近く和気藹々とホールに並んでいる
というのは珍しい風景となる。

知らない人から見たら不思議な集団だろう。

ポイントとしては、
「輩」や「軍団」と見るにはギラギラしてないというか
遠足やレクリエーションの空気なのだ(笑)

それは当たり前、どちらかと言えば
週末や空き時間にパチスロを「楽しむ」層が多数派の回胴連。

むしろ専業やセミプロが
わざわざコミュニティに参加して
自分の情報や狩場を吐露したり、
誰もが知りうる情報を元に
確度が不確かな稼働をする方が不自然なのだ。

彼らは彼ら自身が地道に培って集めた
自分ルールの稼働を優先する。

 

それと比べて試合に参加する回胴連のメンバーは
(ときに選手と呼ばれている)
広告宣伝規制の中で、
情報が少ない中の頼れるチャンスとして参加している。

そして、個人よりグループの方が有利であったり
楽しかったりするメリットも享受できる。

勝った負けたの結果が付いて回るのがパチスロ。
負けて独りで悔しさとやるせなさを胸に帰路につくのは辛い。
また勝った時に誰かに伝えたい欲求もやり場がなかったりする。

そんな時に
仲間と飲みながらあーだこーだと喜びや愚痴をこぼし、
ときに真面目に反省や分析をし合うのはいいものだ。

 

試合のもう一つの側面は「オフ会」。
日頃ブログで交流していた人間同士が
リアルで顔を合わすというイベントでもある。

「ああ、貴方が○○○さんですか!」
「初めまして! 今日も記事に良く書いてる×××打つんですか?」

みたいな風景があるのだ。

また、ROM(読み専)の方が恐る恐る声をかける、
なんてのも時々ある。

とにかく形式やパターンは様々だが、
勝負や収支とは別の「人のつながり」の場としても
回胴連にとって試合は貴重な場なのだ。

ここでの出会いがきっかけで
友情や恋愛が生まれることもある。
そのうち結婚とかも出てくることだろう。

次は、試合会場について振り返ってみたい。

じく「回胴連クロニクル chapter.4【若人】」

 

 

彼らの特徴で最初に感じたのは、
敬語を基本とした礼節の整い方だった。

勿論、親しさの中にくだけた部分はあるが
挨拶しかり、態度しかり、そんなに気を使わなくていいよ!
と言いたいくらいなもの。

年齢など関係なくパチスロで
つながっているだけのコミュニティなのだから、と
思うところなのだが、その点は気持ちよいくらいだった。

ただ、飲み代は割り勘じゃなくて多めに出させてほしかったかな(笑)

 

 

打つスタンスとしては、
現実問題としてノリをやっていたかで違ってくるだろうが
かなり情報共有や作戦会議を綿密にやっていたと思う。

そこには「勝つ」という目標があるので当然だが
パチスロの「情報と立ち回りで自らの手で勝ち金を掴む」
という他の娯楽にはなかなか無い魅力が
彼らを惹きつけたに違いない。

その結果はどうだっただろうか。
自分の予想では、素直に個人の資質で分かれていったと思う。

 

 

大勝に心躍らせ、
高設定を掴み誇る。

愛も伝わらないことはあり
剛腕も陰ることがある。

台の挙動に感動し、
新たな発見に胸を躍らせる。

期待値の欠損が続いたり、
判別のブレで大火傷を負うこともある。

 

パチスロの喜怒哀楽に一人一人が立ち向かい、
自分の中で消化させていったのだろう。

パチスロは、万人に公平で不条理だ。

こうして今では
完全に離れた者、専業を志す者、
業界を目指す者、適度な距離で楽しむ者など
次のステージに旅立っていった。

 

振り返ると、20代のコミュニティだからこそ見える風景があった。
20前後ならば、卒業や就職という人生のビッグイベントがある。
そんな節目に就職祝いやアドバイスを送るのも
パチスロを越えた人間関係を感じさせてくれた。

これはあくまで推測に過ぎないが、
当時の主要メンバーがそういった人生の転機を迎えたところで
回胴連20′sの第1章が終わったということだろう。

 

「また好きな台にフェードインしちゃダメですよ!」
「この空台、たぶん上だと思うのだけど打ちます?」
「負けちゃいました…また、よろしくお願いします!」

 

別にパチスロが上手いわけでもなんでもない自分に
やさしく声を掛けてくれた日々が今でも思い出される。

生き馬の目を抜く鉄火場の世界の中で、
彼らは明るく輝いていた。
いいじゃないか、そんな若者たちがいても。

自分は相も変わらずパチスロと付き合い続けているが、
青く華やかに駆け抜けていったあの時の彼らに
伝えたいこと。

 

 

君たちのあの時間に
無駄なことなんて一つもない。

パチスロが与えてくれた
喜びも悲しみも

これから生き抜く
美しくて残酷な日々の
血と肉となり、支えになる。

パチスロは
人生そのものだ。

 

さあ、打ちに行こうぜ!

じく「回胴連クロニクル chapter.3 青春」

 

 

スロット好きの集まりで、世代間に幅があると

「初めて打ったの何?」

あたりが取っ掛かりで
4号機か5号機か、それより以前か、なんて話に良くなる。

そしてそこからおっさん連中が

「昔は時速5000枚と言われた鉄火場で」
「ストックという概念があって、だから今も『解除』という言葉が」
「モーニングがあった頃は台取りで血みどろの」
「○モノの×ン×ガ×フとか連チャンがもう」
「スタンプサービスで大花火の設定6が」

と語り出して、
若者たちは「また始まった…」と思いつつ
話を合わせてくれたりするのが定番だったりする。

しかし、彼らには圧倒的な好奇心と行動力がある。
これは擦れて枯れてしまった者には無い、かけがえのない力だ。

若さという時間が限られた力だからこそ、彼らは輝く。
ちょっとしたミスや過ちなんか乗り越えて、
自らの手で未来を切り拓いていくのだ。

ameba上に回胴連20′sのぐるっぽが自主的に作られると、
すぐに2~30名が登録しただろうか。

彼らは回胴連の連れ打ちに参加するだけでなく、
メンバーだけのオフ会や連れ打ちも積極的に開催する。

覚えているだけでも神楽坂、秋葉原、橋本など
さまざまなホールで活気ある風景が見られたものだ。

そんな時に行き過ぎた面や周囲への配慮不足などがあれば、
優しく戒めるのが年輩者の役割でもあり。
だが、回胴連のスタッフや年配のメンバーも
彼らのことは温かく見守り、協力は惜しまなかった。

……と思う。
こういったことは受け取る側によって印象はいくらでも変わるものだ。