これは先日ラスベガスに行ったときのお話。

旅の最終日。

フライト時間は朝早く、
モノレールやバスは動いてないので
ホテルからタクシーで
マッキャラン空港に向かいました。

(以下、英語だったと想定してください)

 

 

「マッキャラン空港までお願いします」

「航空会社は?」

「ユナイテッド」

「OK」

朝早く、夜の帳が白み始めたくらい。

遊園地のように看板やモニュメントで彩られた
数々のリゾートホテルの間を、
イエローキャブは進む。

まるでこの娯楽と欲望の街を
独り占めしたかのように
ただっ広いハイウェイを颯爽と駆け抜けて。

 

「どこから来たんだい?」

「日本からです」

 

ドライバーは初老の、いや老人と言っていい
がたいのいい白人。

 

「あまり英語喋れないから、ゆっくりお願いします」

「そんなことないだろ、お前は十分に話せてる」

「ハハ…光栄です」

 

少し間が空いて静寂が続いた。

空いた窓からは
ベガス特有の乾燥した空気が差し込んでくる。

日中なら熱風となるが、
寒暖の激しいこの土地の朝は
意外なほど冷え込む。

このまま黙ったまま
空港までの時間を過ごしてしまうのは
惜しいように思えて
勇気を出して拙い英語を続けた。

 

「日本から来るのは疲れました。12時間かかります」

「そうだろうな、俺の友達が日本に行ったときもそんなことを言っていた」

「日本は遠いです」

「そう言えば、その友達が日本は物価が高いって嘆いてた」

「うーん、僕もそう思います」

「成田空港から東京まで、タクシーで90ドルかかったって!」

「それは気の毒に…成田エクスプレスとか、電車を使うべきでしたね」

「そうだな、アメリカと日本ではタクシーは違う」

「ホテルも高いですよ」

「だろうな」

 

会話が成り立つこと自体が楽しい。

しょせん片言で
相手が合わせてくれているのは分かっているが、
それでも意思を通わすことができるというのは
異国の地では本当に心が沸き立つ。

この国に自分は拠り所が無い、
という漠然として強烈な不安感を
心が触れ合うことで和らげてくれる。

 

「実はな、俺はあと2週間で定年なんだ」

「定年!?」

「ああ、もうすぐ65歳になる」

「それは……おめでとう、と言っていいですか?」

「もちろんだ!」

「おめでとうございます。僕はまだ42です」

「なんだ全然若いじゃないか! 結婚はしてるのか?」

「いいえ、独身です」

「じゃあ、いい女を探さないとな」

「ハハ…僕もそう思います」

「綺麗な女はすぐに飽きる。金持ってる女がいいぞ!」

さすがに気の利いた言葉を
英語で返すことはできず苦笑い。

そんな他愛の無い会話を続けているうちに
頭上を通り過ぎる交通標識が
マッキャランを指し示していた。

 

もうすぐ、このドライブも終わってしまう。

「この街はいい。俺はここで40年間働いてきた」

「40年!」

「そうだ、定年したらニュージャージーにいる俺の家族を呼び寄せるんだ」

「楽しみですね」

「ああ、ベガスは本当にいい街だ」

そして、ついにイエローキャブはアクセルを緩め
空港の敷地内に入る。

航空会社ごとに入口は大きく離れていて、
ユナイテッド航空を指し示す入口近くで
イエローキャブは止まった。

後部座席に取り付けられた
クレジットカード用の端末に料金が表示される。

アメリカはチップ社会なので、

カード払いの場合はチップ代金を自分で選ぶ。

心地いい時間をくれたお礼に
MAXの20%をチップにしてクレジットカードを通した。

車を降り、もうすぐ定年のドライバーが
トランクから荷物を取り出してくれる。

 

「ありがとう」

「こちらこそ」

「お前の言ってることは全部理解できた。自身を持っていいぞ!」

「本当に?」

「ああ、またベガスに来いよ」

「ええ、是非」

「いっぱい金持って、またこの街に来てくれ!」

 

そう言って大声で笑うと、
僕の背中をポンポンと大きく叩く。

自然と僕は右手を差し出し、
彼の大きな力強い手が握り返した。

何なのだろう、
日本では握手なんてまずしないのに
気が付いたら求めてしまっていた。

 

Hava a nice trip, see you!

 

もうすぐ人生のハッピーエンドを迎える
気のいい白人ドライバーは、
朝日が昇り始めたストリップへと
イエローキャブと共に去っていった。

 

さあ、これで僕の旅ももうすぐ終わる。
もう少しだけ英語を頑張らないと。

ユナイテッド航空のカウンターにある
自動発券機で手続きを済ませ、
預ける方の荷物をカウンターに持って行く。

そう言えば一つ
確認しなければならないことがあった。

カウンターの若い白人女性に
パスポートとチケットを渡しながら、

“Excuse me, should I take this bagage at Sanfrancisco?”
(すみません、この荷物はサンフランシスコで受け取る必要がありますか?)

と尋ねる。

こんな感じのいい加減さなので、伝わっているかどうかは怪しい。

すると、女性は少し困った感じの顔をして
考えているようだった。

そして口を開いた。

「ワタシ、ニホンゴ スコシハナセマス。コノママ アズケテ ナリタデ ダイジョウブデス」

“Oh I see, thank you!”

そこには
日本語で言われ
英語で答える
カッコ悪いけど幸せそうな
中年の日本人男性が
苦笑いをしていた。