スロは長い目で見れば運の介在する余地は無いに等しい

あるスロライターさんが数年前の攻略誌に書いた一言だ。
この言葉が、私のスロに対して勝つための工夫をしようという「拠り所」の一つになっている。

 

こんにちは
素敵な履歴の台を狙うステリレ狙いと申します。
初めてコラムを寄稿させてもらいます。
以後お見知りおきのほどを。

 

さて、初稿は自己紹介と相場が決まっているのかもしれないが
長いこと商売の前線にたっているものとしては店も文章もしょっぱなが集客力がマックスと思い知っている。

ならば、一番書きたいことを書かせてもらおうと冒頭の書き出しになったわけである。

運の介在する余地は無いに等しいという表現は、無いということとは全く異なる。

どんなに意識して薄く受け止めようとも「引き」はずっと付きまとうものであることも事実だ。

特に私のようなサラリーマンスロッターはほとんどのスロ稼働が夕方からの数時間。
おもいっきり運に振り回されることになる。

それが大きな喜びにもつながり、どうしようもないやるせなさにもつながる。

当たり前のことだけどこの振り子のような結果そのものもスロの面白さの一つなんだろうと思う。

引きの存在はスロを面白くしてくれる大切な要素の一つなんだ。

収束なんてしない。
期待値なんて嘘っぱちだ。
相性さえよければそれでなんとかなる。

スロを楽しむという観点でいえば、すべて「正解」だ。

もっと言えば、万のユーザーがいるなら万の楽しみ方があるわけだから

が、長い目で見れば「勝つための工夫」は必ず結果になって返ってくる。

次回以降は、今の環境でサラリーマンにできる勝つための工夫について私の思うところを書いてみたい。

あらためて、これからのおつきあいよろしくお願いします。

 

付録
冒頭の言葉を書かれた方は、実は私の名付け親であったりもする。

いや、名付け親は語弊があるな。

彼が書いた特集記事を私が勝手に頂戴しただけだ。
直接お礼を言った日の記事はこちら
http://ameblo.jp/slotyo/entry-11453067389.html

数多くのコメントをいただいたこのコラムの元の記事はこちら
http://ameblo.jp/slotyo/entry-11987374537.html