皆さんどーも”ほらんど”です。

この回胴連コラムも、第15回目となりました。少し期間が空いてしまったことをお詫びします。
第14回のコラムでは、「ミリオンゴッド導入」についてをアツく語ってしまいました。
前回少し触れた「ミリオンゴッド導入」が”ほらんど”に与えたパチスロ人生の一大転機とは
何だったのか?少し書きます・・・

”ほらんど”は、ミリオンゴッド導入前に好んで射幸性の極めて高い「爆裂AT機」を打ち続け
ていました。その”ほらんど”がミリオンゴッドを打ち、また友達を含め沢山のスロッターが打
っている姿を見て感じたこと・・・それは、猛烈な違和感でした。

その違和感とは何なのか?実は、当時は詳しく分からないまま「猛烈な気持ち悪さ」から逃
げるようにミリオンゴッドから遠ざかり、早いタイミングで打つことがなくなりました。
そのため”ほらんど”は、ミリオンゴッドで負けていません。まあ、大勝ちすることも無かった
のですが(照)

今なら「当時の違和感」について、少し分かる気がします。それは・・・
自分自身の性格からパチスロに求めていたものは、「闘争本能の充実」であったのではな
いかと思います。今も同じだと感じています。
非常に負けず嫌いな性格の”ほらんど”は、努力して苦労して勝利することに至高の喜び
を感じる性格だと思います。それを戦闘という形で表現すると、一対一での刀を使った闘
いや、一対一での銃を使った決闘がピッタリします。それまでのパチスロには、その側面
が強くありました。まさに、ねだるな勝ち取れの精神です。

しかし、ミリオンゴッドに感じたのは、「ホール側からの一方的虐殺」「打ち手側が偶然出か
けた釣りで、たまたま入れ食いになった釣り」だったのではないかと思います。それは、た
だただ「お金」というものを媒介とした騙し合いであり自分自身が思い描いていたパチスロ
とは大きくかけ離れていたのではないかと思います。
きっと、プロセス不在の「お金」の取り合いが嫌いだったんでしょうね・・・
(ちなみに、ミリオンゴッドの最高出玉は、8万枚を目撃したことがあります)

そして、その出会いがもう一つの転機となる大きな事件の引き金となりました。
その大きな事件については、次回詳しく書きたいと思います。

そんな自分のパチスロ人生が転機を迎えようとしている中でも、引き続きホールに入りび
たり変わらず打ち散らかした2002年9月(雑誌の日付なので実際は2002年8月)のパ
チスロ雑誌は、どんな感じだったのか?

この月に買ったパチスロ雑誌は、5誌!

・パチスロ必勝ガイド
・パチスロ必勝ガイドMAX
・パチスロ攻略マガジン龍ドラゴン
・パチスロ勝ち逃げKING
・必勝パチスロファン

いつもの通り、気に入った雑誌3、4誌+目についた雑誌をプラスして買ったのでは
無いかと思います。

ちなみに「パチスロ勝ち逃げKING」は、株式会社少年画報社から発売された創刊号(現在廃刊)
であり、編集長遠藤さんを初め見た事もないライターが多数登場していました。
また、その他の雑誌のパチスロライターについては前月と変わらぬ状況にありました。

そして、機種としてはなんと言っても引き続き「ミリオンゴッド(ミズホ)」が取り上げられていました。
またその他の機種は、「ネオプラネットXX」「ギンギンマル」「パニックザウルス」「ダイキチクラブ」「
あっぱれ迷探偵」「ライライゴクウ」などが特集されていました。

今回は、”ほらんど”と「ミリオンゴッド」のことなど色々書いちゃいましたね。
キリが無いので取りあえず今回はここまでとさせていただきます。
次回以降も、パチスロ雑誌を基にした歴史と”ほらんど”の想い出を連動させて書いていきます。
引き続き、宜しくお願いします!

ほらんどブログ:火拳ほらんどのねだるな勝ち取れ(写真沢山込み)ログ
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