ほらんど

ほらんど「パチスロの歴史(ほらんど的) 2002年9月」

 

 

皆さんどーも”ほらんど”です。

この回胴連コラムも、第15回目となりました。少し期間が空いてしまったことをお詫びします。
第14回のコラムでは、「ミリオンゴッド導入」についてをアツく語ってしまいました。
前回少し触れた「ミリオンゴッド導入」が”ほらんど”に与えたパチスロ人生の一大転機とは
何だったのか?少し書きます・・・

”ほらんど”は、ミリオンゴッド導入前に好んで射幸性の極めて高い「爆裂AT機」を打ち続け
ていました。その”ほらんど”がミリオンゴッドを打ち、また友達を含め沢山のスロッターが打
っている姿を見て感じたこと・・・それは、猛烈な違和感でした。

その違和感とは何なのか?実は、当時は詳しく分からないまま「猛烈な気持ち悪さ」から逃
げるようにミリオンゴッドから遠ざかり、早いタイミングで打つことがなくなりました。
そのため”ほらんど”は、ミリオンゴッドで負けていません。まあ、大勝ちすることも無かった
のですが(照)

今なら「当時の違和感」について、少し分かる気がします。それは・・・
自分自身の性格からパチスロに求めていたものは、「闘争本能の充実」であったのではな
いかと思います。今も同じだと感じています。
非常に負けず嫌いな性格の”ほらんど”は、努力して苦労して勝利することに至高の喜び
を感じる性格だと思います。それを戦闘という形で表現すると、一対一での刀を使った闘
いや、一対一での銃を使った決闘がピッタリします。それまでのパチスロには、その側面
が強くありました。まさに、ねだるな勝ち取れの精神です。

しかし、ミリオンゴッドに感じたのは、「ホール側からの一方的虐殺」「打ち手側が偶然出か
けた釣りで、たまたま入れ食いになった釣り」だったのではないかと思います。それは、た
だただ「お金」というものを媒介とした騙し合いであり自分自身が思い描いていたパチスロ
とは大きくかけ離れていたのではないかと思います。
きっと、プロセス不在の「お金」の取り合いが嫌いだったんでしょうね・・・
(ちなみに、ミリオンゴッドの最高出玉は、8万枚を目撃したことがあります)

そして、その出会いがもう一つの転機となる大きな事件の引き金となりました。
その大きな事件については、次回詳しく書きたいと思います。

そんな自分のパチスロ人生が転機を迎えようとしている中でも、引き続きホールに入りび
たり変わらず打ち散らかした2002年9月(雑誌の日付なので実際は2002年8月)のパ
チスロ雑誌は、どんな感じだったのか?

この月に買ったパチスロ雑誌は、5誌!

・パチスロ必勝ガイド
・パチスロ必勝ガイドMAX
・パチスロ攻略マガジン龍ドラゴン
・パチスロ勝ち逃げKING
・必勝パチスロファン

いつもの通り、気に入った雑誌3、4誌+目についた雑誌をプラスして買ったのでは
無いかと思います。

ちなみに「パチスロ勝ち逃げKING」は、株式会社少年画報社から発売された創刊号(現在廃刊)
であり、編集長遠藤さんを初め見た事もないライターが多数登場していました。
また、その他の雑誌のパチスロライターについては前月と変わらぬ状況にありました。

そして、機種としてはなんと言っても引き続き「ミリオンゴッド(ミズホ)」が取り上げられていました。
またその他の機種は、「ネオプラネットXX」「ギンギンマル」「パニックザウルス」「ダイキチクラブ」「
あっぱれ迷探偵」「ライライゴクウ」などが特集されていました。

今回は、”ほらんど”と「ミリオンゴッド」のことなど色々書いちゃいましたね。
キリが無いので取りあえず今回はここまでとさせていただきます。
次回以降も、パチスロ雑誌を基にした歴史と”ほらんど”の想い出を連動させて書いていきます。
引き続き、宜しくお願いします!

ほらんどブログ:火拳ほらんどのねだるな勝ち取れ(写真沢山込み)ログ
http://ameblo.jp/akirax00/entry-12067500287.html

ほらんど「パチスロの歴史(ほらんど的) 2002年8月」

 

 

皆さんどーも”ほらんど”です。

この回胴連コラムも、第14回目となりました。
第13回のコラムでは、当時のホールイベントなどをアツく語ってしまいました。
そして季節は2012年「夏」を迎えようとしていました。(タイトルは雑誌日付なので7月)
この夏は、4号機時代を通過してきた全てのスロッターにとって忘れられない衝撃を受けた
季節となりました。何故なら4号機時代を終焉させる事となるモンスターマシンが登場した季
節だったからです。次回のコラムで書きますが、”ほらんど”にとってもこのモンスターマシン
の登場は、パチスロ人生の一大転機を招くこととなります。

このモンスターマシンの機種名は、ミリオンゴッド!
ミズホから発売されたモンスターマシンは、2013年10月に検定取消となり最終的な撤去が
完了するまでの短い期間にパチスロ界だけで無く、一般社会も巻き込んで「社会現象」となり
ます。(実質的な撤去は、後継機ゴールドXが導入されてアルぜが自主回収を始めた6月)
”ほらんど”も、「射幸心を煽る」という言葉の意味を人生で初めて知りました。

この機種の何がモンスターだったか?
ただ一言出玉性能が驚異的であったことに尽きると思います。プラス面もマイナス面も。
ゲーム性は、現在導入されている「ミリオンゴッド~神々の凱旋」と大きく変わりません。
当選ATは、シンプルに3種類。GG(ゴッドゲーム)、SGG(スペシャルゴッドゲーム)、PGG(
プレミアムゴッドゲーム)だけでした。しかし、驚異的なのはその純増枚数!設定毎に少しづつ
性能に差があるのですが、概ね1Gあたり10枚の純増を誇りました。

ということは、前述の3種の当選AT毎に「GG(50G)」=500枚、「SGG(50G×3セット)」
=1500枚、「PGG(500G)」=5000枚という破壊力。もちろんモードにより、GGの連荘がプ
ラスアルファされるというものでした。ちなみに確率は、SGG(1/4096)、PGG(1/8192)です。
逆に、回胴史上最悪と評されたコイン持ちは、千円あたり20.18Gでした。

つまり天井(1500G)を基準に考えると、2時間弱で最悪7万5千円投資してGG単発(500枚)
1万円のリターンを得る人と、最高PGG×3回獲得(15000枚)30万円を獲得する位の差がある
という事になります。たった2時間弱で・・・
この宝くじの様な目押し不要の仕様のマシンに、パチスロを打った事も無い一般社会人もホール
に殺到し狂ったように打つこととなります。しかし、結果は前者(天井)が圧倒的に多くパチスロで
破産というような見出しが一般雑誌、新聞にも踊る事となるのでした。

そんな時代の節目となる機種が登場する中、引き続きホールに入りびたり変わらず打ち散らかした
2002年8月(雑誌の日付なので実際は2002年7月)のパチスロ雑誌は、どんな感じだったのか?

この月に買ったパチスロ雑誌は、5誌!

・パチスロ必勝ガイド
・パチスロ必勝ガイドMAX
・パチスロ必勝本DX
・パチスロ攻略マガジン SPECIAL VOL.3
・必勝パチスロファン

いつもの通り、気に入った雑誌3、4誌+目についた雑誌をプラスして買ったのでは
無いかと思います。

この月に目についたのは、「ネオプラネットXX(山佐)」の登場により山佐機種の取り扱いが大
きくなっており、様々な特集が組まれていた事です。「パチスロ攻略マガジン SPECIAL VOL.3」
については、雑誌の1/3程度が山佐機種を特集しているほどでした。
また、パチスロライターについては前月と変わらぬ状況にありました。

そして、機種としてはなんと言っても「ミリオンゴッド(ミズホ)」が取り上げられていました。それ
については、前述したので割愛します。とにかく凄い機種でした。
またその他の機種は、「ネオプラネットXX」「ギンギンマル」「パニックザウルス」「エイリアン」「ゴ
ーストショック2」「K1レバンナR」「サプライズ」などが特集されていました。

今回は、時代を変えた機種「ミリオンゴッド」のことなど色々書いちゃいましたね。
キリが無いので取りあえず今回はここまでとさせていただきます。
次回以降も、パチスロ雑誌を基にした歴史と”ほらんど”の想い出を連動させて書いていきます。
引き続き、宜しくお願いします!

ほらんどブログ:火拳ほらんどのねだるな勝ち取れ(写真沢山込み)ログ
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ほらんど「パチスロの歴史(ほらんど的) 2002年7月」

 

 

皆さんどーも”ほらんど”です。

この回胴連コラムも、第13回目となりました。
第12回のコラムでは、パチスロの環境(光や影の側面)などをアツく語ってしまいました。
前回は「影の側面」を中心に書きましたが、少し「光の側面」の事も少し触れてみます。
なんと言っても、この頃のホールはイベント全盛期!各ホールが競い合って様々に趣向を
こらして盛り上げていました!

”ほらんど”は、この頃まだまだ初心者なので「全体系」と呼ばれる「全台の内〇〇台設定➄
⑥を投入します」「全台の内1/3が設定④⑤⑥です」などのイベントを選ぶ事が多かったので
すが、今考えると様々なイベントとホールのクセを掴めれば勝ちやすい時代だったんだろうな
という風に思います。もちろん”ほらんど”は、完全な負け組でしたが(笑)
ちなみに、その他のイベントは以下のような感じでした。

・朝一告知系(朝一番に来た人だけが知りえる告知)
「朝一リールが7並びなら設定⑥」「朝一リールがBIG図柄なら100%設定⑥、RB図柄なら5
0%で設定⑥」「朝一リールが7並びで、横一直線なら100%設定⑥、右上がり一直線なら5
0%で設定⑥、右下がり一直線なら25%で設定⑥」など色々なパターンがありました。
「クレオフ(クレジットオフの略)」朝一番のBIG終了後にクレジットメダルが強制的に吐き出さ
れたら設定⑥なども朝一告知系と言えるのかも知れません。

・札告知系(パチスロ台に様々な札を付けて設定を示唆する、終日、時間限定など)
設定示唆する札の内容は様々で「設定1,3,5」「設定2,4,6」「設定4,5,6」など基本的な
ものから「設定6,3,4(ムサシ)」「設定5,2,6(コジロー)」捻ったパターン「爆裂予想台」「安
定安心台」など曖昧な表現のパターンがありました。時間単位で変化するパターンも定番でし
たね。朝「2,4,6」→昼「4,6」→夕方「6」などと変化しました。
この手の示唆に”ほらんど”は、ただただ翻弄されて負け額を増やしてました(笑)

・設定変更系
「大花火で1BIG711枚獲得を1番早く獲得したら設定を⑥に変更」「BIG間2000Gハマれば
設定⑥に変更」「BIG10回に1番早く到達したら設定⑥に変更」など色々なパターンがありまし
た。いずれにしても厳しい条件で、”ほらんど”が変更の恩恵に出会った事はありませんでした。

・夕方サービス系
「夕方〇〇時になれば高設定台の発表を行う」「夕方〇〇時になれば高設定台を抽選で開放
します」などのパターンがありました。高設定台発表については、その時点で空台の事も珍しく
なく修羅場と化すホールも多かった気がします。この系では、”ほらんど”も時々恩恵を受けて
いました。サラリーマン向けのイベント?ですね。

今では規制のお蔭で出来なくなったと思いますが、ホールが集客のために色々なアイデアを出
していた事は、とても健全な活動だと思います。同じことは出来ないと思いますが、様々な集客
のためのアイデアは、今でも出来ると思うのでホールの気合に期待しています。何よりも、ユー
ザー不在で規制を行う当局の皆様は、考えを改めて欲しいと思います。このコラムが目に入る
ことは無いのだろうと思いますが(汗)

そんなホールの営業活動に翻弄され、引き続きホールに入りびたり相変わらず打ち散らかした
2002年7月(雑誌の日付なので実際は2002年6月)のパチスロ雑誌は、どんな感じだったのか?

この月に買ったパチスロ雑誌は、4誌!

・パチスロ必勝ガイドMAX
・パチスロ必勝本DX
・パチスロ攻略マガジン エキスパート~勝ち組の掟~
・パチスロ必勝ガイド ウルトラダブル 連チャン機特集号

色々読みふけった結果、気に入った雑誌を3、4誌買うのがスタイルとなりつつあるのでは
無いかと思います。

この月に特筆すべきは、「パチスロ攻略マガジン エキスパート~勝ち組の掟~」この雑誌は
今でも時折発売されるスロプロ、業界関係者、パチスロライターが立ち回りを中心にパチスロ
の勝ち方が書かれているものです。しかし、内容がディープで勉強になりました。
パチスロライターとしては、初めて「しのけんさん(篠崎健二さん)」がフューチャーされており、
子供時代から誌上プロとなるまでが書かれていました。
また、「パチスロ必勝ガイド ウルトラダブル 連チャン機特集号」も今でも発売されているシリ
ーズだと思いますが、この号はとにかくホールデーターに特化しており個人的に大好きな形で
した。取り上げた2誌の様な形の雑誌が今でもあればなぁ・・・と思います。

そして、機種としては導入間近で話題となっていた「ネオプラネットXX(山佐)」が取り上げられ
ていました。エルビジョン搭載機のストック機で、”ほらんど”にとっても凄く思い入れの強い機
種なのですが、想い出については後日詳しく書きます。エルビジョンについては、後にマジック
パルサーに搭載されますが結局短命に終わりました。エルビジョンとは、リールのカバーを液
晶にして、その上に様々な演出を見せるものでした。繊細な作りだった模様で、後日実機を購
入したいと探した際も、まともに動いている台が無く断念したのを覚えてます。

またその他の機種は、「不二子2」「ハクション大魔王S」「バベル」「灼熱牙王」「タイムパーク」
「爆裂王7」「花伝説ー30」などが特集されていました。

今回は、当時のホールでのイベントのことなど色々書いちゃいましたね。
キリが無いので取りあえず今回はここまでとさせていただきます。
次回以降も、パチスロ雑誌を基にした歴史と”ほらんど”の想い出を連動させて書いていきます。
引き続き、宜しくお願いします!

ほらんどブログ:火拳ほらんどのねだるな勝ち取れ(写真沢山込み)ログ
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ほらんど「パチスロの歴史(ほらんど的) 2002年6月」

 

 

皆さんどーも”ほらんど”です。

この回胴連コラムも、第12回目となりました。
第11回のコラムでは、時代の流れや不遇機種のことなどをアツく語ってしまいました。
本当にこの頃「パチスロ」というエンターテイメントは、注目された結果どんどんどんどん膨
らみ始め「ユーザー人口」も増え続けていました。
今まで「パチスロ」というものに見向きもしなかった一般人が、簡単に大金が手に入るかも?
という理由で朝からパチスロホールの抽選に並ぶ・・・そんな流れになりつつありました。

少しネガティブな表現に感じたかもしれませんが、「ユーザー人口」が増えるというのは、
どんな業界にとっても良いことだと思います。何故ならなんていうビジネス論をここでは書く
つもりはありませんが、この活況を呈しようとしていることを「光の側面」とすれば、もちろん
「影の側面」も大きくなろうとしていた気がします。

「影の側面」もちろん外国人による集団不正行為など完全な犯罪行為も、この頃横行して
おり、度々逮捕されたりする姿を見たり、情報を聞いたりしましたが、今回書くのはそういう
完全な犯罪行為のことでは無く、本格的にパチスロを楽しんでいる人なら公然の事実として
受け止めていた「ホールによる基盤操作」と「裏モノ(Bモノ)と呼ばれた機種」のことです。

「ホールによる基盤操作」とは、4号機の特色である「メイン基盤」「サブ基盤」を操作するこ
とに代表される「基盤操作」です。簡単に説明すると「メイン基盤=ボーナス抽選等基本機
能を制御する基盤(6段階設定)」と「サブ基盤=AT確率等付加機能を制御する基盤(6段階
設定)」をそれぞれコントロールし、「ユーザー」を翻弄することです。例えば、メイン基盤の
設定を6とし、サブ基盤の設定を1にすると、ボーナス関係の挙動や判別要素は6のものと
なり、高確率でボーナスが出現するのに、ATはさっぱり入らずユーザーの頭の中は???
のまま負けてしまいます。こうなると、攻略本などの情報は全く役に立ちません。
また、この流れは後のストック機に対しても形を変えて引き継がれます。いわゆる「ストック
飛ばし(消し)」と呼ばれるものです。

「裏モノ(Bモノ)」については、以前も少し書きましたが、パチスロ機に本来搭載されている
基盤の中身を、そもそもから変えて強制的に射幸性の高い挙動に改造した台のことです。
これは上記の「ホールによる基盤操作」よりも世間に認知されており、雑誌にも時折特集さ
れていました。地方によって挙動に特色があり、その地方の趣向に合わせているのかなぁ
なんて思ったりしていました。様々な機種が改造されていましたが、この頃は当月の「パチ
スロ必勝本」にも書かれていたようにHANA HANAがフューチャーされていました。
その種類は、”32G連チャンver.””スイカ一発ver.””チェリピカver.””29G時限発火ver.”
”ダイナマイトver.”等がありました。また、様々な爆裂仕様でした。

「裏モノ(Bモノ)」については、規制されていくこととなるのですが、こういう「影の部分」が、
パチスロ業界が常に規制され、世間にも明るく受け入れられにくい理由になっていたのか
なぁ・・・なんて、今だからか考えてしまいます。

しかし、残念ながら当時の”ほらんど”は、そんな「影の部分」も充分認識しながら、相変わら
ずパチスロ馬鹿として「コンチ4X」に負け続け借金を増やし続けていました(笑)

そんな、引き続きホールに入りびたり相変わらず打ち散らかした2002年6月(雑誌の日付
なので実際は2002年5月)のパチスロ雑誌は、どんな感じだったのか?

この月に買ったパチスロ雑誌は、3誌!

・パチスロ必勝本
・パチスロ必勝本DX
・パチスロ攻略マガジン

前月に一気に購入する雑誌を増やし機種情報取得も一段落したのか、3誌に落ち着い
たのでは無いかと思います。

パチスロライターとしては、パチスロ必勝本については変わりなく、しんのすけさん、射駒
タケシさん、NBえーじさん、NIYAさん、高木MAXさん、とっぱちさんと豪華布陣!
攻略マガジンについても、軍団長ネギ坊さんを筆頭に、レビンさん、てつさん、ひろぽんさ
ん、ルート菊嶋さん、からマヨさん、エミさんと豪華布陣でした!

そして、機種としては導入間近で話題となっていた「不二子2(平和)」が取り上げられていま
した。ストック機なのですが、ルパンシリーズ、スーパビッグ(MAX711枚)を搭載しており、
お馴染みのタイプライター演出など演出面でも面白く大人気だったのですが、ノーマルビッグ
時のリプレイハズシが2コマ目押しが必要なため当時の”ほらんど”には敷居が高い機種でし
た。今なら、2コマあれば余裕ですが・・・

またその他の機種は、「バベル」「ハクション大魔王S」「一撃帝王2」「スペースバニー」「タイ
ムパーク」「マリリン」「インゴッド」「ブラックエンジェルズ2」などが特集されていました。

今回は、少し社会派な感じ(笑)で当時のパチスロ環境ことなど色々書いちゃいましたね。
キリが無いので取りあえず今回はここまでとさせていただきます。
次回以降も、パチスロ雑誌を基にした歴史と”ほらんど”の想い出を連動させて書いていきます。
引き続き、宜しくお願いします!

ほらんどブログ:火拳ほらんどのねだるな勝ち取れ(写真沢山込み)ログ
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ほらんど「パチスロの歴史(ほらんど的) 2002年5月」

 

 

皆さんどーも”ほらんど”です。

この回胴連コラムも、第11回目となりました。
第10回のコラムでは、当時のホールのことなどをアツく語ってしまいました。
また、新しいゲーム性を備えた機種が出始めたこと(一撃帝王)も書きましたね。
その状況は、更に加速しこの頃色々な意味で「パチスロ」とうエンターテイメントがギャンブ
ル界全体で一番スポットライトを浴び始め「メーカー」「ホール」「バイヤー」「メディア」そして
「ユーザー」など有象無象が本格的に群がり始めた時期であったんではないか?と振り返
ってみて改めて感じました。

ご存じの通り膨らみ続けた風船は誰にも止められないまま膨張し続け結果破裂することと
なります・・・その辺りのことも、今後書きますが、全ての業界、事象に言えるこういう止めら
れない流れが訪れる少し前の「時代の踊り場」と言える瞬間に幸せな未来に向けた動きを
することが出来なかったのかと思います。

まあ、過去の出来事に対しては誰でも言えるんですよね。でも、現在良化しつつある「パチ
スロ」を取り巻く環境については、そうならない様に出来たらいいなぁと思います。
それは、いちユーザーとしての強い思いです。

ちなみに、そんな偉そうな事を書いている”ほらんど”の当時は、ただのパチスロ馬鹿として
「コンチ4X」に負け続け借金を増やし続けていました(照)

そんな時期となるこの頃、パチスロメーカーからは今まで無い位に沢山の機種が登場しつつ
ありました。もちろん不遇なまま消えて行った台も数知れずありました。
不遇な台といっても、ゲーム性などが面白くなかったと台という訳でも無く、矢継ぎ早に登場
する機種の中で、移り気なユーザーの心を捉えきれなかった台も多数含まれます。参考まで
に以下列挙します。

・ハクション大魔王S(サミー)
・一撃帝王(ロデオ)
・ハイパーリミックス(サミー)
・ワンチャンス(アリストクラート)
・ハウンドドッグ(ネット)
・ガンガン(大都技研)
・マッカチン(アリストクラート)
・セブンドリームMAX(高砂電器)
・空拳30(リックコーポレーション)
・ビバライバル(ダイドー)
・ラトルスネーク(IGT)
・マネーゲームビッグ(バルテック)
・ピンクベルR(ベルコ)
・ダブルフェイス(アリストクラート)
・ジャングルビート(ネット)
・ツイスト(オリンピア)

数え上げればキリが無いですね。今でも同様の機種はありますが、当時は比較にならない
程に沢山の機種が、沢山のメーカーからどんどん登場してました。

そんな、引き続きホールに入りびたり不遇機種も打ち散らかした2002年5月(雑誌の日付な
ので実際は2002年4月)のパチスロ雑誌は、どんな感じだったのか?

この月に買ったパチスロ雑誌は、6誌!

・パチスロ必勝ガイドMAX
・パチスロ必勝本
・パチスロ必勝本DX
・パチスロ攻略マガジン ドラゴン
・パチスロ攻略マガジン SUPER11
・パチスロ極

前述した時代の流れ(沢山の機種の導入)にあわせて、機種情報を取得するべく一気
に購入する雑誌が増えた気がします。また、メディアの動きも活発となり雑誌が一気に
創刊され始めたのも、この時期だと思います。ちなみに、パチスロ攻略マガジン ドラゴ
ンは、この月発売の創刊号となります。

パチスロライターとしては、パチスロ必勝ガイドについては前月と変わらず「アニマルかつ
みさん」「ガル僧さん」のマッドパチスロブラザーズを看板としながら、リトルさん、ういちさ
ん、中武一日二膳さん、無道Xさん、木村魚拓さん、ひやまっちさんと豪華布陣でした!
パチスロ必勝本についても過去と大きく変わりなく、しんのすけさん、射駒タケシさん、NB
えーじさん、NIYAさん、高木MAXさん、とっぱちさんと豪華布陣!
攻略マガジンについても、当時軍団長だったネギ坊さんを筆頭に、レビンさん、てつさん、
ひろぽんさん、ルート菊嶋さん、からマヨさん、エミさんと豪華布陣でした!
パチスロ極については、スコラマガジン社から発売されただけあって全編カラー写真構成
となっており、機種紹介に特化しておりライターは出て来ませんでした。

そして、機種としては導入間近で話題となっていた「バベル(エレコ)」が取り上げられていま
した。ストック機なのですが、アステカの様なリール図柄とインカ帝国を思わせる音楽により
”ほらんど”も飛びつきましたが、振り返ると面白くなかった気がします(笑)

またその他前述した不遇機種以外に「アラジンA」「サラリーマン金太郎」「オオタコスロ2(エレ
コ)」「サンダーV2(メーシー)」「タイムパーク(山佐)」などが特集されていました。

今回は、時代の流れや不遇機種のことなど色々書いちゃいましたね。
キリが無いので取りあえず今回はここまでとさせていただきます。
次回以降も、パチスロ雑誌を基にした歴史と”ほらんど”の想い出を連動させて書いていきます。
引き続き、宜しくお願いします!

ほらんどブログ:火拳ほらんどのねだるな勝ち取れ(写真沢山込み)ログ
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ほらんど「パチスロの歴史(ほらんど的) 2002年4月」

 

 

皆さんどーも”ほらんど”です。

この回胴連コラムも、ついに第10回目となりました。
第9回目のコラムでは、”ほらんど”が「コンチ4X」以外のAT機に触れる機会が更にが増え
て来たこと。そして、サラリーマン金太郎(4号機)のことなどをアツく語ってしまいました。
前回も伝えましたが、「コンチ4X」に負け続けたことによる借金は打つ程に、月を追う程に
ただただ増える一方でした・・・

しかし、引き続きこの月もコンチ4X熱は継続しています(呆れ顔)

そして、”ほらんど”が主戦場としていた渋谷にも新しい勢力(ホール)が登場間近となってい
ました。それは、今では日本最大?のパチンコ・パチスロホールチェーン店であるマルハング
ループが総力を挙げて出店しようとして大々的な会員募集を行っていた「マルハン パチンコ
タワー渋谷」後日開店後には、渋谷のパチンコ・パチスロの勢力図が大きく塗り替えられる事
となりました!当時は見たことの無いカップルシート等を完備する巨大ホールにド肝を抜かれ
ました!開店当初の超絶設定投入と超絶並びにも・・・

”ほらんど”は、加熱するホール競争の中この頃からアツいと呼ばれるホールへの遠征を始め
ることとなります。特に良く遠征したのは、その頃最強と呼ばれていた川崎「タイガー」でした。
今考えると、徹夜で挑戦しに行って撃沈することを繰り返しよくやってたなぁ・・・と呆れます・・・
このホールの特徴は、40台、50台、60台とBOXで設置している爆裂AT機を惜しげも無く全台設
定6にすることでした!獣王、コンチ4X、サラリーマン金太郎など壮絶な景色でした!
まっ、もちろん全台6機種のAT機に座れたこと無いまま行くのを諦めましたが(泣)

また、この月のパチスロライフの内訳は、ついに登場した「アラジンA(サミー)」を打つ機会が増
えました。なぜかあのドット演出にシビれ、数珠繋ぐアラジンチャンスの魅力に惹かれました!
もちろん前月から打つ機会が増えた「サラリーマン金太郎(ロデオ)」も並行して打つ機会が減る
ことがありませんでした。そして、コンチ4Xを加えた”ほらんど”のメイン3機種にあぶれた場合は
ST機功夫列伝(カンフーレツデン)を打つようになりました。BB1回で711枚獲得は魅力的でし
た!もちろんハマリも強烈でしたが(汗)なにせ天井は、1965Gでしたからね・・・

そんな、引き続きホールに入りびたりST機の味も知り始めた2002年4月(雑誌の日付なの
で実際は2002年3月)のパチスロ雑誌は、どんな感じだったのか?

この月に買ったパチスロ雑誌は、2誌!

・パチスロ必勝ガイド
・激爆パチスロ王

この頃の”ほらんど”にとって「パチスロ必勝ガイド」については、完全に定番の位置を
占め始めた気がします。そして「激爆パチスロ王」は株式会社立風書房から発売され
ていましたが、現在は既に廃刊となっています。この本を買った理由は、当時ボキャブ
ラ天国等で人気のあった「お笑いタレント」X-GUNさんや、元笑っていいともで「いいと
も青年隊」だった久保田あつしさんなどが記事を書いていたのが理由と思われます。
完全なるミーハー買いですね(恥)

パチスロライターとしては、パチスロ必勝ガイドについては前月と変わらず「アニマルかつ
みさん」「ガル僧さん」のマッドパチスロブラザーズを看板としながら、リトルさん、ういちさ
ん、中武一日二膳さん、無道Xさん、木村魚拓さん、ひやまっちさんと豪華布陣でした!
激爆パチスロ王については、前述のX-GUNさん、久保田あつしさん以外は??でした!

そして、機種としては導入間近で話題となっていた「一撃帝王(ロデオ)」が取り上げられてい
ました。結局そのゲーム性から不遇のままホールから消えることとなるのですが、この機種の
画期的なゲーム性とはCRパチンコのゲーム性をパチスロに取り入れたことでした。
そうです確率変動の概念を取り入れたAT機です。この概念は、黄門ちゃま等の後日導入され
る機種の先駆けと言えるものでした。”ほらんど”も何度か打ちましたが、BIG確率(1/2621
設定①~1/1456設定⑥)REG確率(1/762設定①~1/720設定⑥)というゲーム性は・・・
無理(><)としか感じることが出来ませんでした。

またその他「アラジンA」「サラリーマン金太郎」「エアロガイズ(アリストクラート)」「オオタコスロ
2(エレコ)」「ハウンドドッグ(ネット)」「サンダーV2(メーシー)」などが特集されていました。

今回は、当時のホールのことなど色々書いちゃいましたね。
キリが無いので取りあえず今回はここまでとさせていただきます。
次回以降も、パチスロ雑誌を基にした歴史と”ほらんど”の想い出を連動させて書いていきます。
引き続き、宜しくお願いします!

ほらんどブログ:火拳ほらんどのねだるな勝ち取れ(写真沢山込み)ログ
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ほらんど「パチスロの歴史(ほらんど的) 2002年3月」

 

 

皆さんどーも”ほらんど”です。

この回胴連コラムも第9回目となりました。
第8回目のコラムでは、”ほらんど”が「コンチ4X」ばかりでは無く、他のAT機に触れる機会
が増えて来たこと。そして、ゴルゴ13のことなどをアツく語ってしまいました。
実は、既にこの頃「コンチ4X」に負け続けたことによる借金も結構な額となっていました。
ただ、この頃(今も大きくは変わってませんが)無駄にポジティブだった”ほらんど”は、きっと
なんとかなる!と思い込み、徐々に徐々に負債を増やしていくのでした。
みなさんも、ホント気を付けて下さいね!繰り返し言いますが、ギャンブルは借金をしてする
ものでは無く、自分で稼いだお金で勝負するものです!
「全力で遊ぶために全力で働く!」これが、腕に自信のない俺達サラリーマンスロッターの
生きがい!そして、修羅場へ向かう漢の覚悟です!

あっ!スミマセン・・・調子に乗ってしまいましたね。

とはいえ、この月もコンチ4X熱が冷めることはありません!ただし、先月以上に”ほらんど”の
パチスロライフの内訳は、コンチ4X以外のAT機を触れる割合が更に増えることとなりました。
それは、「サラリーマン金太郎(ロデオ)」を打つ機会が増えたことが大きく影響だったと思いま
す。この頃サラリーマン金太郎を冠したイベントが増えたこと、時速5000枚の恩恵を自分自身
も受け、スロ仲間達も受けたことにより「サラリーマン金太郎」の話題が仲間内で多くなったこと
が大きかった気がします。(人一倍流されやすい性格でした・・・)

「上段青テンハズレ目は、最強だ!」なんて、毎日盛り上がってました(笑)

そして「コンチ4X以外の機種を触れる割合増える」という流れは、この後も少しずつ少しずつ
加速していくこととなります。4号機終焉に向けて、加速していく射幸心を煽るマシンの導入が
激しくなればなるほど・・・
その辺りのことは、次月以降書きますね!

そんな、引き続きホールに入りびたりAT機三昧だった2002年3月(雑誌の日付なの
で実際は2002年2月)のパチスロ雑誌は、どんな感じだったのか?

この月に買ったパチスロ雑誌は、1誌!

・パチスロ必勝ガイドMAX

なぜなのか?この頃は明確に「コンチ4Xの解析」が完全に出揃ったため買う必要性を
あまり感じなくなっていたからだと思います
どんだけ好きだったのか・・・自分でも呆れます・・・

パチスロライターとしては、相変わらず「アニマルかつみさん」「ガル僧さん」のマッドパチ
スロブラザーズを看板としながら、リトルさん、ういちさん、中武一日二膳さん、無道Xさん、
木村魚拓さん、ひやまっちさんと豪華布陣も活躍中でした!
中でも、ういちさん、ひやまっちさんの金髪は違和感しかありません!若い!(笑)

そして、機種としてはついに「アラジンA」が導入間近ということで大特集が組まれていました!
一撃必殺の集中役を搭載してセンセーションを巻き起こした「初代アラジン(2号機)」から13年
「アラジンⅡ(3号機」「アラジンマスター(4号機」を経て新生アラジンチャンスが導入されるとい
うことで、業界上げての盛り上がりだったのではと想像できます。

しかし、改めてこの時のアラジンチャンスを振り返ると超破壊力だったことに驚きます!
単チェリーを基本契機として突入するアラジンチャンスの出玉性能は、基本的に1セット
10Gながら1Gあたりの純増は、+11.4枚!!もちろんこの破壊力が大連荘するとい
う仕様でした。

更に、アラジンチャンス中にアラジンチャンスに当選すると最大5000G継続するスーパ
ーアラジンチャンスに突入するという超弩級の仕様でした!!

それ以外にも、間もなく導入の機種として「タコスロ」そして、後のSTブームの先駆けとして
山佐から功夫列伝(カンフーレツデン)が特集されていました。
導入済みの機種では、この頃じわじわとホールを鉄火場に変えつつあった「島唄」も特集
されていました。ただし、「島唄」に関してはBモノ(裏)も多く、その辺りも話題となっていま
した。本当に凄い時代になろうとしていたんだなぁ・・・と改めて感じました。

今回も、サラリーマン金太郎のことなど色々書いちゃいましたね。
キリが無いので取りあえず今回はここまでとさせていただきます。
次回以降も、パチスロ雑誌を基にした歴史と”ほらんど”の想い出を連動させて書いていきます。
引き続き、宜しくお願いします!

ほらんどブログ:火拳ほらんどのねだるな勝ち取れ(写真沢山込み)ログ
http://ameblo.jp/akirax00/themeentrylist-10087069982.html

ほらんど「パチスロの歴史(ほらんど的) 2002年2月」

 

 

皆さんどーも”ほらんど”です。

この回胴連コラムも第8回目となりました。
第7回目のコラムで、”ほらんど”がのめり込んだパチスロ機「コンチ4X」のことをアツく語り、
いや語り過ぎ?そして、毎日のパチスロ三昧の様子を書きました。
いや~全力で負けてましたねぇ・・・今考えても恐ろしいんですけど、ただ振り返ると辛かっ
た事、哀しかったことは消え去り、楽しかったことしか覚えてない・・・
これが人間という動物が持つDNAの偉大なところなんですかねぇ?
そりゃ、前向きに生きていけるはずだ!人類万歳!!

そして、この月もコンチ4X熱が止まる事を知らない”ほらんど”の毎日は、前月と同様にダメ
スロッターの一直線でした(笑)
但し、少し違ってきたのは他のAT機を触れる機会も増えてきたということ。もちろん、色々と
毎月導入される新台に目を奪われて「打ってみる」という機会が増えた事もありますが、パチ
スロ雑誌を買って各機種のモード移行テーブル等の情報を知ることにより、確認してみたい
欲求が高まり打つ機会も増えていました。

この機種毎のデーターに興味を持った事は、最終的に設定判別に繋がって行き勝てる機会
を増やしていく要素に繋がっていくのですが、この月の時点ではそこまでのレベルに繋がらず
ひたすら自分への刺激(いわゆる射幸心を煽る)が強い台を求め快楽に溺れていました・・・

この月に印象的だったのは、前回も書いた渋谷コンサートホールにて1月13日にゴルゴ13を
狙い撃ちし万枚を獲得できたことです!こんな事は、覚えてるものなんですね(笑)

今考えるとゴルゴ13というパチスロ機も恐ろしいマシンです!
簡単な仕様をいうと、A+AT機 1GあたりAT純増6.95枚?、AT連荘回数1~130回、
天井は、第一天井1500Gで第二天井は、なんと2626GでAT30連以上確定でした!
今のAT機とは、スペックが比較になりませんね(恐)

そして、ゴルゴ13のフリーズは、”ほらんど”が現時点までで一番感動したものです!
完全に細部まで覚えてる訳では無いので、間違ってたら申し訳ないけど・・・
バキューン!という銃声の後にリールが空回りを始め♪ジャッジャッジャッジャッジャというゴル
ゴ13の音楽が流れ始め、それに乗せてデューク東郷の名言が・・・「・・・10%の才能と・・・・・
20%の努力・・・・・そして、30%の臆病さ・・・・ 長い沈黙の後 ・・・残る40%は、運だ!」
ジャジャーン♪って、頭真っ白になったのを覚えてます!

やっぱり明けても暮れてもホールに入りびたりAT機三昧だった2002年2月(雑誌の日付なの
で実際は2002年1月)のパチスロ雑誌は、どんな感じだったのか?

この月に買ったパチスロ雑誌は、1誌!

・パチスロ必勝本DX

なぜなのか、突然1誌に減ってました・・・金が無かったのか?時間が無かったのか?

パチスロライターとしては、相変わらず「しんのすけさん」「射駒タケシさん」の2枚看板が活躍し
NBえーじさん、とっぱちさん、NIYAさん、高木MAXさんと豪華布陣も活躍中でした!
やっぱり、印象はめちゃめちゃ若いと感じてしまいます(笑)
ところで、この頃大活躍していた「ひさぴょんさん」は、いつから見なくなったのか・・・
めちゃめちゃ人気あっただけに、ふと気になりました・・・

そして、機種としては導入間もない「サンダーV2(メーシー)」そして「ゴルゴ13(平和)」の解析
が特集されていました。また、「キングパルサー(山佐)」の特集で”ハイエナ”という言葉が紙面を
飾っていました。この頃から確かに、ハイエナ専門の若者をホールで見かけるようになった気がし
ます。そして、毎年恒例になっているパチスロ オブ ザ イヤー2001の発表がされてました。
2001年度の順位は、以下の通り。

1位 獣王(サミー)
2位 ハードボイルド2(サミー)
3位 コンチ4X(アルゼ)
4位 ドンちゃん2(アルゼ)
5位 ナイツ(山佐)

そして、驚くべきことに並行して2001裏コレクションとして、裏モノの紹介もありました。ランナップ
は、「ワンダーレビュー2 サーカス団カラフル前兆Ver.」「ミコトV 帝王再臨Ver.」「ユニコーンSP
リプ連Ver.」「オアシス ハロウィンパーティーVer.」「スーパーリノ スプラッシュレモン前兆Ver.」
などでした。時代とはいえ、びっくりですよねぇ。

今回も、ゴルゴ13など色々書いちゃいましたね。
キリが無いので取りあえず今回はここまでとさせていただきます。
次回以降も、パチスロ雑誌を基にした歴史と”ほらんど”の想い出を連動させて書いていきます。
引き続き、宜しくお願いします!

ほらんどブログ:火拳ほらんどのねだるな勝ち取れ(写真沢山込み)ログ
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ほらんど「パチスロの歴史(ほらんど的) 2002年1月」

 

 

皆さんどーも”ほらんど”です。

この回胴連コラムも第7回目となりました。
第6回目のコラムで、”ほらんど”が本格的にパチスロ雑誌を買い始めた話。そして、当時の
”ほらんど”が好きだったパチスロライターさん、そして当時通っていたホール等の話を書き
ました。当時仕事場が赤坂だったので、赤坂のホール(赤坂見附周辺)にも良く出没してい
たことを書き忘れていたので、加えさせていただきます。
当時赤坂見附周辺のホールは、平日夜サラリーマン&夜の店のお姉様、土日朝からは、
アジア系の人達が多く人種の坩堝的な感じで、楽しかったっす。

そして、ますますコンチ4X熱が上がっている”ほらんど”の毎日は、今振り返ってもダメスロ
ッターの極み(笑) ホールの養分一直線でした(笑)

・平日の夜(仕事が早く終わった時):渋谷、新宿で実戦
・・・コンチ4Xに空台があれば打つ!空台が無ければ、その他AT機(獣王、サイバードラゴン
等)を打つ!
・平日の夜(仕事が遅く終わった時):赤坂、下北沢で実戦
・・・コンチ4Xに空台があれば打つ!空台が無ければ、その他AT機(獣王、サイバードラゴン
等)を打つ!
・土曜日、日曜日(朝から):渋谷、吉祥寺で実戦
・・・入場抽選の結果コンチ4Xに空台があれば打つ!空台が無ければ、その他AT機(獣王、
サイバードラゴン等)を打つ!

冷静に今考えてみても、データーも見ずに爆裂機に座り平日、土日に関わらず必ず閉店まで
打ち切っていたら、金がいくらあっても足りませんよね(泣)
その通りに「コンチ4X」については、負け続けていました。ただ、こんな打ち方なのに他のAT
機では、事故も頻繁に起こしほとんど負けていませんでした。不幸中の幸いだったのでしょう
か?いや、これが取り返しのつかない位の「コンチ4X」の負け額に繋がったのかも・・・

何故それ程に「コンチ4X」にハマったのか?その当時の気持ちに戻ることは出来ませんが、
記憶と今の自分なりの分析をしてみると、こう予測できます。

・それまでのAT機種と少しシステムが違っていた
それまでのAT機(獣王等)は、高確率状態の時に如何に「ハズレ」をヒクか?これが爆裂の
糸口でした。しかし「コンチ4X」は、基本的に「アタリ(RB押し順正解)」が爆裂の契機になって
いた。「ハズレ」が当たりという矛盾にどうしても疑問を持っていた”ほらんど”は、「アタリ」が
当たりということが、とても納得出来るものであった。
・夢があり、夢が叶うと信じてた
「コンチ4X」は、一たび爆裂が始まると一気に2万枚、3万枚を吐き出すマシーンでした。これ
は、当時現役最強のスペックであり、他人が出している姿、友達が毎週万枚を達成している
姿を見て、自分にもいつか出来ると思っていた。結局一度も叶いませんでしたが・・・
・目押しが簡単だった
当時まだ目押しが苦手だった”ほらんど”は、他機種だと図柄に見えないものも多く、小役等
も取りこぼすことがあり、とても恥ずかしかった。しかし、「コンチ4X」はリールがほぼ白く図柄
が凄く良く見えた。取りこぼすことも基本無くて、ストレスが無かった。
今では、見えない図柄の方が稀ですが・・・不思議なものです・・・

その他RB押し順ナビテーブルにより、現在自分がどのテーブルに居るのか予想するのが楽
しかったり(パチスロ攻略雑誌で全テーブル完全に覚えてました)と色々ありますが、今考え
ると完全にアルぜの戦略に踊らされてたとしか思えません(恥)
初心者が陥りやすい罠だと思いますので、皆さん気をつけて下さいね!
パチスロは、楽しめる範囲でやるもので、人生賭けてやるなら相当の覚悟が必要だと思いま
す。”ほらんど”も、後日訪れるキッカケと、それを後押しする環境が無かったら今頃どうなっ
ていたか?と恐ろしく思います。この辺りの事は、また後日書きますね。

そんな明けても暮れてもホールに入りびたりAT機三昧だった2002年1月(雑誌の日付なの
で実際は2001年12月)のパチスロ雑誌は、どんな感じだったのか?

この月に買ったパチスロ雑誌は、4誌!

・パチスロ必勝ガイド
・パチスロ必勝ガイドMAX
・攻略パチスロ天国(爆裂スロッターセブン増刊)
・アルゼ攻略(ARUZEオフィシャルパチスロ攻略誌:株式会社エンターブレイン)

この月は、とにかく「アルぜ攻略」というメーカーのオフィシャル攻略誌が存在していたのが、と
ても凄いと思いました。今では、見る事ありませんね。そして、パチスロ必勝ガイドが定番の位置
を確保しようとしているのが分かりますね。

パチスロライターとしては、この月から「パチスロ必勝ガイド」に”ひやまっちさん”が登場し始めま
した。我が盟友”アミーゴさん”と昔の仲間たちと蕨の居酒屋ひやまっちに遊びにいったことが、
昨日の事の様に思い出されました。もちろん、この時からずーっと後のことですけどね。
やっぱり誌面でみる”ひやまっちさん”は、めちゃめちゃ若い(笑)

そして、機種としては「サラリーマン金太郎(サミー)」「キングパルサー(山佐)」「ゴルゴ13(平和)」
を中心として、この後導入予定の「サンダーV2」が特集されていました。
「キングパルサー(山佐)」は、後日毎日打つこととなりますが、当時AT機に狂っててた”ほらんど”
は、全く見向きもしませんでした。

今回は、コンチ4Xについて語りすぎてしまいましたね。多分呑みにいったら延々喋れる気がします
迷惑だと思いますが(笑)まあ、キリが無いので取りあえず今回はここまでとさせていただきます。
次回以降も、パチスロ雑誌を基にした歴史と”ほらんど”の想い出を連動させて書いていきます。
引き続き、宜しくお願いします!

ほらんどブログ:火拳ほらんどのねだるな勝ち取れ(写真沢山込み)ログ
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ほらんど「パチスロの歴史(ほらんど的) 2001年12月」

 

 

皆さんどーも”ほらんど”です。

この回胴連コラムも第6回目となりました。
第5回目のコラムで、”ほらんど”が初めて買ったパチスロ雑誌の話。そして、その購入によ
り、ますますパチスロにのめり込むこととなったことを書きました。
その頃の”ほらんど”の主戦場は、渋谷、新宿、吉祥寺あたりでした。
渋谷のメインホールは、「コンサートホール(道玄坂)」通い始めた頃は、地下1階にパチスロ
が100台未満で、朝の並びも2、30人だったのが、伝説の設定師(山元さん)の登場により
「土曜日の伝説」というイベント(土曜日になると全台の1/3以上が456になる)を開始してか
ら、噂が噂を呼びパチスロ台数500台以上、朝の抽選並びも最高2000人まで膨れ上がり
毎週土曜日は、抽選を受けても入場出来ない状況になったのも、今となっては懐かしい想い
出です。(このホールも既に廃店となってます)

その他渋谷では、エスパス渋谷2号店、3号店、スロットクラブ、ガイア渋谷店、BBステーショ
ンなどに出没してました。新宿では、金馬車、マルハン新宿店、吉祥寺では、パラッツオなど
に出没していました。住んでいたのが下北沢だったので、ミナミ本店、10号店などにも顔出し
ていました。この頃のホール選びは、誘われるがまま適当だった気がします(汗)

そりゃ~負け組になりますよね。
でも、個人的には必死で、そしてとにかく楽しかったことを覚えてます。
寝ても覚めてもAT機をメインで打ち倒してました(笑)

今回は、とにかく寝ても覚めてもAT機をメインで打ち倒していた2001年12月(雑誌の日付な
ので実際は11月)の事をパチスロ雑誌を振り返りながら書きます!

パチスロ雑誌も2か月目になると一気にバリエーションが増えます!
この月に買ったパチスロ雑誌は、なんと5誌!どんなけ好きやねん(笑)

・パチスロ必勝ガイド
・パチスロ必勝ガイドMAX
・パチスロ必勝本
・コンチ4X&爆釣SPECIAL(パチスロ必勝本DX増刊)
・必勝パチスロ魂

この中で「必勝パチスロ魂(雄出版)」は、廃刊になっていますが、その他は現在も続く有名誌!
その頃のパチスロライターも、今でも第一線で活躍しているのが凄いと思いました。

・パチスロ必勝ガイド
アニマルかつみさん、ガル僧さん、中武一日二膳さん、リトルさん、塾長さん、木村魚拓さん

・パチスロ必勝本
しんのすけさん、こーじさん、射駒タケシさん、NIYAさん、うっちいさん、ぎるびいさん

ちなみに、この頃”ほらんど”は、アニマルかつみさんのファンでした。三軒茶屋のホールイベント
に応援に行ったことも、何度かあります。射駒タケシさんのことも、応援してました。
我らがオブザーバーしんのすけさんのことは、この時点では応援していませんでした。今は、もち
ろんめちゃめちゃ応援していますし、尊敬もしています。しんのすけさんスミマセン(汗)
そんな「しんのすけさん」も、誌面では「3波論(さんぱろん)」などをアツく語っていました。
さすがに14年前?なので、写真がめちゃめちゃ若くて・・・プッ(笑)

そして、機種としてはついに登場間近となる「サラリーマン金太郎(サミー)」「キングパルサー(山
佐)」「ゴルゴ13(平和)」が特集されていました。どの機種も、めっちゃ打ち込んだ機種です。

そして、パチスロ史上最大の騒動「サミー系機種コピー打法」についても、大きく誌面が割かれて
いました。もう知ってる人も少なくなってきているかもしれませんが、凄い騒ぎでした。
一言で言うと「ゴト」なのですが、サミー系の台(獣王、ハードボイルド2、猫で小判など)のレバー
を超ゆっくり動かすとフラグがコピーされて、次も同じフラグが成立するというものでした。
”ほらんど”にも悪い仲間から情報が来て試してみましたが、本当にコピー出来ました。
すぐに、サミー系の台は全面的にシマ閉鎖となる事態となり、儲けることは出来ませんでした(笑)
ちなみに、リプレイをコピーすることにより爆裂させれる「猫で小判」のシマは、壮絶でした!

なんだか脱線してしまいましたね。取りあえず今回はここまでとさせていただきます。
次回以降も、パチスロ雑誌を基にした歴史と”ほらんど”の想い出を連動させて書いていきます。
引き続き、宜しくお願いします!

ほらんどブログ:火拳ほらんどのねだるな勝ち取れ(写真沢山込み)ログ
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ほらんど「パチスロの歴史(ほらんど的) 2001年11月」

 

 

皆さんどーも”ほらんど”です。

この回胴連コラムも第5回目となりました。
第4回目のコラムで、”ほらんど”のパチスロ人生の中で最も打ち込んだ(最大回転数記録)
機種「コンチ4X」と出会った事を書きました。
”ほらんど”にとっては、後にも先にも「負けても良いから、とにかく座りたい」と思った唯一の
機種になりました。その後、「負けても良いから、とにかく座りたい」と思った機種は未だ出現
しておりません。いや、そう思うことは無いと思います。

何故なら、そう思って狂ったように打ち続けた結果”ほらんど”は、負け続け、気が付くと・・・
一機種で約マイナス4000Kを記録することとなりました(この辺りのことは、また今度詳しく
書きます)そして、そんな金を持っている訳も無く借金に塗れる事となりました・・・
注)安心して下さい。もう大分昔に全額返済済みです(この辺りのことも、また後日書きます)

 

今回は、後日そんな状態になる途上にある2001年11月(雑誌の日付なので実際は10月)
の事を初めて購入したパチスロ雑誌を振り返りながら書きますね!

 

初めて購入したパチスロ雑誌は「必勝パチスロ虎の巻」です。
何故この雑誌を選んだのかは、正直覚えていません。ただ、パチスロ雑誌を買おうと思った
理由は、当時狂った様にパチスロにのめり込んだ”ほらんど”が、巷でまことしやかに囁かれ
ていたパチスロで勝つために必要なもの「目押し力」と「パチスロの知識」を信じ、もちろん初
心者で「目押し力」など無かった”ほらんど”は、「パチスロの知識」を得たいと強く思ったいた
からです。今とは違い購入後は欄外も含め隅から隅まで何回も読んでいました。
そして、得た知識を試したくて、読んだら打ちに行く⇔打ったら本で再確認するをループさせ
ますますパチスロにのめり込んで行きました。

「必勝パチスロ虎の巻」現在既に廃刊となってますが、パチスロライターとして現在も名が通っ
ている人は、ルーキー酒井さんぐらいです。ちゃんと写った写真が無いのが残念ですが、か
なり若かったと想像出来ます(笑)あと、後に友達の友達として何度かパチスロを一緒に打つ
ことになる亀田さんも活躍してましたが、この頃はまだ知り合っていませんでした。
ちなみに亀田さんは、現在回胴連一軍選手のSさんのような打ち方をされる方で、当時下北
沢のパチスロ好きのカリスマでした。”ほらんど”も、大好きで尊敬していました。

そして紙面のTOPは、導入間近の「釣りキチ三平(サミー)」と「クレイジーレーサーR(アルゼ)」
でした。巻頭特集は、「スーパーリノ(山佐)」ご存じ?5G連荘の名機のリメイクでした。
マンボリズムで大連チャン!!ズルスベリ!などという文字が紙面にデカデカと踊っているの
が時代を感じさせますね(笑)スーパーピカゴロウとBIG確率が同じだぞ!とも(笑)

その他紙面には、「コンチ4X完全攻略特集」や「爆釣(メーシー)登場!」「ハードボイルド2設定
の魔術に迫る!」「極(テクノコーシン)核爆弾!!」など当時”ほらんど”が大好きだった機種が
一杯特集されていました。それぞれの殺し文句が凄くて・・・

ハードボイルド ・・・ 設定1設置率70%を誇る最強爆発台
極 ・・・ 時速7000枚のスピードで延々とコインを吐き出す最強猛爆兵器

など、今のパチスロ雑誌では書けそうにない過激な描写が、今となっては時代を感じさせます。
でも、懐かしいなぁ・・・としみじみ思います。但し、どれもこれも爆発させた思い出がどーにも、
見当たらないのが不思議です(笑)
あっ!ハードボイルド2でAR1000Gは、引いたことがありますけどね・・・

いや~とりとめのない文章になりましたね。取りあえず今回はここまでとさせていただきます。
次回以降も、パチスロ雑誌を基にした歴史と”ほらんど”の想い出を連動させて書いていきます。
引き続き、宜しくお願いします!

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ほらんど 「パチスロの歴史(ほらんど的) 回胴第一歩篇」

 

 

皆さんどーも”ほらんど”です。

この回胴連コラムも第4回目となります。
第3回で書いたように、2000年5月に東京へ転勤によりやって来た”ほらんど”は、当初等
価交換に興奮し、パチンコ三昧の日々を過ごしていました。
そして、呑み友達にパチスロも等価交換であり、おもしろく儲かるよ!と言われ、それならと
誘われるがままパチスロを打ち始めることとなりました。

最初の頃は、サーフトリップ(アルぜ)、アステカ(エレクトロコインJ)、ワードオブライツ
(ミズホ)などを打っていた記憶があります。そして、ありきたりの話になりますが世に言う
「AT全盛期」の切っ掛けとなった獣王(サミー)を打ってAT機の爆発力に完全に虜となりました。
今スロゲーセンなどで懐かしさから打つと、ほぼほぼ白いリールと単調なゲーム性に長く打て
ませんでしたが、当時は「液晶アクション」「ゲーム性」そしてなんといっても「音楽」特にAT中
サバンナチャンスの音楽は、当時気が付けば鼻歌が出てた気がします(笑)

但し、獣王で良い思いをすることはありませんでした。何故なら超人気機種で設置台数も非常
に多い機種でしたが、「朝一全台サバンナチャンススタート」など店によってはイベントも凄く、
また設定⑥は、ほぼ確実に万枚突破というスペックから優良店の並びは徹夜も普通、抽選の
店では、よほどの良番じゃ無いと座れない状況のため、土日メインのサラリーマンスロッター
では、まともな設定の台に座ることが難しかったからです。スロプロ(専業)も、今とは比較に
ならない位多い時代でしたから・・・

そして”ほらんど”は、AT機にどっぷりハマってしまい、パチンコよりもパチスロメインとなります
更に2001年夏頃に吉祥寺のパチスロ専門店で打った当時の新台「ダブルチャレンジ」で初の
万枚(ほぼ2万枚)を経験します。「ダブルチャレンジ」の仕様は、AT当選時のゲーム数をドリー
ムチャレンジと称して1.5倍~30倍のダブルアップチャレンジを行うものでした。
当時AT100Gに当選し、30倍を選んで成功すれば「ライオンハート」と呼ばれホールから認定
ストラップが貰えました。”ほらんど”は、朝一番のドリームチャレンジに成功し「ライオンハート」
ストラップを手に入れ(スタートATゲーム数3000G)そのまま終わらないATを体験しました。

今なら嬉しい!というレベルで冷静に受け止めれますが、当時は舞い上がり40万円弱のお金
で豪遊し、翌日から「もっとパチスロが打ちたい!」と狂ったように平日の仕事終わりも含めて、
打ち続け始めることとなりました。

そして、生涯で一番打ち込むことになった「コンチ4X」と出会う事となったのでした。
出会ったから今の”ほらんど”があるのか?出会わなければ良かったのか・・・

人生は、不思議で切なく、そして楽しいものですね

 

キリが良いので、取りあえず今回はここまでとさせていただきます。
前回予告したパチスロ雑誌を基にした歴史まで辿りつかなかったので、
次回から書きたいと思います。引き続き、宜しくお願いします!

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ほらんど「パチスロの歴史(ほらんど的) 上京篇」

 

 

皆さんどーも”ほらんど”です。

この回胴連コラムもあっという間に第3回目となります。
第1回、第2回目のコラムは、振り返ってみると「序章」「黎明期」とタイトルにした通り、前置
きの部分だったのですが、硬い文章、自分よがりの内容だなぁ・・・と反省ばかりです。まあ、
自分で決めて自分自身のブログとは違う形で書くと覚悟を決めて始めたので、悩んでも仕方が無い!
”ほらんど”らしくない!なので、このまま突っ走ります!

前置きは、これぐらいにして早速本題に入ります。タイトルを「上京篇」としていますが、今回
は、”ほらんど”が会社命令で転勤により東京へ住まいを移しパチスロにのめり込み始める
こととなった時代を書きたいと思います。また、選手名(ブログネーム)を”ほらんど”とした訳、
火拳と呼ばれるようになった理由も、併せて書きます。
前回同様「パチスロ歴史」の部分は、4号機時代(初頭)を書きますね♪
(パチスロの歴史については、間違いがあればゴメンなさい)

”ほらんど”は、2000年5月に会社命令により東京へ転勤となります。その寸前までは、姫路
尼崎などパチンコ、パチスロが非常に盛り上がっていた街で仕事をしており、その頃全盛期を
迎えていた裏(Bモノ)キングガルフ等や、パチスロの時代を変えたと言われる名機サンダーV
、ジャグラーなども打ちましたが、あまり良い想い出が無く、引き続きパチンコを中心として、平
行して競馬にのめり込んでいました。関西も有名競馬場が多く、中央、地方を問わず競馬場に
も、良く出没していました。ちなみに、”ほらんど”のパチンコ戦績は完全な養分で超絶マイナス
しかし、競馬は始めた頃から超強くスロットにハマった以降弱くなり負け続けた分を差し引いて
も、楽々プラス収支です。おっと、話が脇にそれましたね(笑)

東京へ転勤し、住まいを下北沢(東京都世田谷区)に移した”ほらんど”は、東京と関西のパチ
ンコ事情の違いに絶句し、ますますパチンコにのめり込みます!
何故なら換金率が等価交換だったからです!衝撃でした!

等価交換なら負けるはずが無い!

と渋谷駅前のエスパス3号店とガイア渋谷店に毎日通い、「CR大工の源さん」と「海物語(初代」
を狂ったように打ち続け、結果ガッツリ負け続けて世間はそんなに甘くないことを思い知らされる
こととなりました。そんなこんな生活を続け、初めての大都会ライフに飲み込まれ毎夜呑み歩いて
る時に、当時の呑み仲間にパチスロが面白い!実は、パチスロも等価交換だと教えられました。
そして好奇心旺盛な”ほらんど”は、パチスロを打ち始め完全にハマる事となります。
折しも時代は、4号機が全盛期を迎えようとする少し前の段階でした。

ちなみに「パチスロの歴史」としては、1992年に4号機時代に変わり1993年には爆発的な導入
台数を誇る「ニューパルサー(山佐)」が導入!その後「クランキーコンドル」「サンダーV」を経て、
大量獲得機「B-MAX」「ガメラ」「大花火」へ、CT機からAR機、ART機、AT機へ変わり続けて行き
ます。いわゆるサブ基盤制御全盛期になろうとしていました。

その後”ほらんど”は、その波に完全にノマれることとなるのですが、時間大きく経過した2010年
当時パチスロ界をブログを通じて盛り上げようとする動きがあり、ウシオさんが中心となって「パチ
スロ必勝本」「パチスロ攻略マガジン」「パチスロ必勝ガイド」のライターさんが大勢参加する集まり
虹の会というものが開催されました。そこに参加するにはブログを始めなくてはならず、急きょブロ
グを立ち上げ、その際にブログネームを”ほらんど”とし今に至っています。

名前を付けた理由は単純で、当時超絶好きだったエウレカセブン(初代)のホランドの文字をひらが
なにするだけという安易なものでした。当時「ほらんど」と名乗る人間が星の数ほどいましたが、今
は残っておらず、俺がWEB検索のTOPに来るようになるとは想像もしてませんでした。
ちなみに、現在盟友であるアミーゴさんとは、その虹の会で偶然出会い今に至ってます。

思ったより長くなったので、取りあえず今回はここまでとさせていただきます。
冒頭で書く予定だった「火拳と呼ばれるようになった理由」は、またの機会に書きます。
今回も、ぐだぐだなコラムにお付き合いいただき、ありがとうございました。
次回からは、貯めに貯めたパチスロ雑誌を基にした歴史と”ほらんど”の想い
出を連動させて書きたいとおもいます。引き続き、宜しくお願いします!

ほらんどブログ:火拳ほらんどのねだるな勝ち取れ(写真沢山込み)ログ
http://ameblo.jp/akirax00/entry-11970150210.html

ほらんど「パチスロの歴史(ほらんど的) 黎明期」

 

 

皆さんどーも”ほらんど”です。

この回胴連コラムも第2回目となります。
第1回目のコラムは、誰か読んで貰えたのかなぁ?前回のコラムに「最初は読んでくれる人
も居ないかもしれませんが、地道に継続していれば、いつかこのコラムを楽しみにしてくれる
人も出てくるかも?そして、そんな人と出逢い友となれるかも?と思い書くことにしました」
と書きましたが、やっぱり気になるものですね(笑)

 

前置きは、これぐらいにして早速本題に入ります。タイトルを「黎明期」としていますが、今回
は、”ほらんど”が本格的にパチスロにのめり込む前の時代を書きたいと思います。
”ほらんど”自身の事と、折角「パチスロ歴史」としているので、その時代までのパチスロの歴
史も併せて書きますね♪(パチスロの歴史については、間違いがあればゴメンなさい)

 

”ほらんど”は、前回書いたように大阪で生まれ、尼崎、神戸で育ちました。
正直あまり良い子とは言えない育ち方と、なぜか悪い友が多かったように思います。
そして、ギャンブルと呼ばれるものを本格的に始めてのは15歳の頃(時効なので許して)で、
パチンコでした。ホールにはパチスロも既にあったみたいですが、その頃の神戸は換金率が
非常に悪く7枚~8枚交換が基本、場所によっては9枚交換のホールもありました。

 

そのため「金にならないと感じた」いうのがパチスロにのめり込まなかった理由です。もちろん、
たまに打つことはありましたが・・・ ちなみにパチンコは、2.2円~2.5円が主流でした。
その後に競馬、競輪、競艇と沢山のギャンブルにのめり込みましたが、パチスロだけは東京に
転勤で来るまで時間潰しに打つ程度と、のめり込むことはありませんでした。
※主観ですが、関西人気質(ハイリスクハイリターン好き)の友が周りに多かった気がします。

 

対して「パチスロの歴史」の方は、調べてみると既に紆余曲折の進化を遂げていたようです。
どうも大きな節目は、1985年風営法の制定(大幅改正)であった様子です。
この風営法制定後導入された機種を1号機、それ以前に導入された機種を0号機と呼ぶらし
い。以降2号機、3号機、4号機と時代が移り、現在の5号機に至ります。
それぞれの時代(~3号機)の代表機種は、以下の通りです。

 

0号機
パチスロパルサー(山佐:1980年)現在の形の元祖と言われる

1号機(1985年~)
アメリカーナXX(瑞穂)
プラネット(山佐)

1.5号機(1987年~)
ニューペガサス(パル工業)
ファイヤーバード7U(瑞穂)

2号機(1988年~)
バニーガール(オリンピア)
アニマル(アークテクニコ)

3号機(1990年~)
コンチネンタル(瑞穂)
スーパープラネット(山佐)

 

少し長くなりそうなので、取りあえず今回はここまでとさせていただきます。
今回も、ぐだぐだなコラムにお付き合いいただき、ありがとうございました。
次回は、いよいよ”ほらんど”の東京進出?そして、パチスロへの目覚め、
パチスロの歴史は、4号機時代への突入などをコラムに書きたいと思いま
す。引き続き、宜しくお願いします!

 

 
ほらんどブログ:火拳ほらんどのねだるな勝ち取れ(写真沢山込み)ログ
http://ameblo.jp/akirax00/entry-11970150210.html

ほらんど「パチスロの歴史」

 

 

皆さんどーも”ほらんど”です。

本日から生意気にも、この回胴連HPにてコラムを書かせていただくこととなりました。
Sさん(回胴連1軍&スタッフ)から話をいただいた際には、俺なんかが書くコラムを読む
人が正直存在するのか?と思い正直躊躇しましたが、回胴連に入りブログを毎日書き続
けていたら、いつの間にか読んでくれる人も増え、なかには毎日楽しみだと言ってくれる人
も出来ました。それは、自分にとって想像出来なかった喜びとなりました。

そう考えれば、このコラムも最初は読んでくれる人も居ないかもしれませんが、地道に継続
していれば、いつかこのコラムを楽しみにしてくれる人も出てくるかも?そして、そんな人と
出逢い友となれるかも?と思い書くことにしました。

内容ですが、普段ブログには書かなかったことを書きたいと思いました。
そして、”ほらんど”自身の悩みであった貯まり過ぎた「過去のパチスロ雑誌」(実は各種パ
チスロ雑誌を購入し始めた2001年11月~現在までのものが、段ボール7箱分部屋に置いてあり、
部屋をガッツリ狭くしています)を処分する前に、1か月分ずつ当時の機種やパチスロライタ
ー達について語り、またそれを自分自身のパチスロとの関わり方や想い出と絡めて書いて
いこうと思いました。本来は、写真を交えて(久しぶりに読み返すと、当時の機種やライター
の姿は新鮮でした!若いしw)書きたいのですが、回胴連公式のコラムでは難しいと思います
ので、回胴連コラム(文字中心)⇔自分自身のブログ(写真沢山込み)を連動させる形で進め
たいと思っております。

タイトルは、ありきたりですが「パチスロの歴史(ほらんど的)」とします。
どんな内容になるかは、書いてみないと分かりません。なので、当分の間暖かい目で見守って
下さい。そして、少し時間が経ったら皆さんからの意見も貰い取り込む事で、面白いコラムに少
しづつでも近づけたいと思ってます。

あっ!そういえば初回なので、”ほらんど”の事を知らない人も多いはず。
自己紹介が必要ですね!文末になってスミマセンm(_ _ )m

選手名(ブログネーム):ほらんど
回胴連所属一軍選手 背番号:21
性別:男性 生年月日:19××年8月6日(広島原爆記念日)
出生地:大阪市港区弁天町
現在居住地:東京都渋谷区

何故選手名(ブログネーム)を”ほらんど”としたのか?パチスロとの出逢いはいつからなのか?
なぜ生意気にも「火拳」と呼ばれているのか?など詳しいことは、次回以降に書きます。
えっ!興味ない? うん!興味なくても一方的に書きますww
ただ一つだけ書きましょう。なぜ生年月日を19××年としているのか?
別に北斗の拳マニアだからではありません!”ほらんど”は、いつの日からか年齢不詳とし年齢
を聞かれても答えないようにしました。なぜなら人間学的にみて男女共に30歳を超えたら年齢
そのものに意味は無く、あるのは肉体的年齢、精神的年齢だけである!誰かに聞いたからです。
また、パチスロするのに年齢は関係ないと思っているからです。(本当は、少し恥ずかしいように
感じ、言いずらくなったというのは内緒)

だから、今後”ほらんど”と試合、飲み会等で会っても年齢は聞かないで下さい!
なんでも受け入れれる馬鹿な”ほらんど”の唯一のお願いです!ヨロシク!

ということで、ぐだぐだな初回コラムにお付き合いいただき、ありがとうございました。
次回以降の展開は読めませんが、これからも宜しくお願いします!

ほらんどブログ:火拳ほらんどのねだるな勝ち取れ(写真沢山込み)ログ
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