1月 10 2015
皆さんどーも”ほらんど”です。
この回胴連コラムも第2回目となります。
第1回目のコラムは、誰か読んで貰えたのかなぁ?前回のコラムに「最初は読んでくれる人
も居ないかもしれませんが、地道に継続していれば、いつかこのコラムを楽しみにしてくれる
人も出てくるかも?そして、そんな人と出逢い友となれるかも?と思い書くことにしました」
と書きましたが、やっぱり気になるものですね(笑)
前置きは、これぐらいにして早速本題に入ります。タイトルを「黎明期」としていますが、今回
は、”ほらんど”が本格的にパチスロにのめり込む前の時代を書きたいと思います。
”ほらんど”自身の事と、折角「パチスロ歴史」としているので、その時代までのパチスロの歴
史も併せて書きますね♪(パチスロの歴史については、間違いがあればゴメンなさい)
”ほらんど”は、前回書いたように大阪で生まれ、尼崎、神戸で育ちました。
正直あまり良い子とは言えない育ち方と、なぜか悪い友が多かったように思います。
そして、ギャンブルと呼ばれるものを本格的に始めてのは15歳の頃(時効なので許して)で、
パチンコでした。ホールにはパチスロも既にあったみたいですが、その頃の神戸は換金率が
非常に悪く7枚~8枚交換が基本、場所によっては9枚交換のホールもありました。
そのため「金にならないと感じた」いうのがパチスロにのめり込まなかった理由です。もちろん、
たまに打つことはありましたが・・・ ちなみにパチンコは、2.2円~2.5円が主流でした。
その後に競馬、競輪、競艇と沢山のギャンブルにのめり込みましたが、パチスロだけは東京に
転勤で来るまで時間潰しに打つ程度と、のめり込むことはありませんでした。
※主観ですが、関西人気質(ハイリスクハイリターン好き)の友が周りに多かった気がします。
対して「パチスロの歴史」の方は、調べてみると既に紆余曲折の進化を遂げていたようです。
どうも大きな節目は、1985年風営法の制定(大幅改正)であった様子です。
この風営法制定後導入された機種を1号機、それ以前に導入された機種を0号機と呼ぶらし
い。以降2号機、3号機、4号機と時代が移り、現在の5号機に至ります。
それぞれの時代(~3号機)の代表機種は、以下の通りです。
0号機
パチスロパルサー(山佐:1980年)現在の形の元祖と言われる
1号機(1985年~)
アメリカーナXX(瑞穂)
プラネット(山佐)
1.5号機(1987年~)
ニューペガサス(パル工業)
ファイヤーバード7U(瑞穂)
2号機(1988年~)
バニーガール(オリンピア)
アニマル(アークテクニコ)
3号機(1990年~)
コンチネンタル(瑞穂)
スーパープラネット(山佐)
少し長くなりそうなので、取りあえず今回はここまでとさせていただきます。
今回も、ぐだぐだなコラムにお付き合いいただき、ありがとうございました。
次回は、いよいよ”ほらんど”の東京進出?そして、パチスロへの目覚め、
パチスロの歴史は、4号機時代への突入などをコラムに書きたいと思いま
す。引き続き、宜しくお願いします!
ほらんどブログ:火拳ほらんどのねだるな勝ち取れ(写真沢山込み)ログ
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