皆さんどーも”ほらんど”です。

この回胴連コラムも第4回目となります。
第3回で書いたように、2000年5月に東京へ転勤によりやって来た”ほらんど”は、当初等
価交換に興奮し、パチンコ三昧の日々を過ごしていました。
そして、呑み友達にパチスロも等価交換であり、おもしろく儲かるよ!と言われ、それならと
誘われるがままパチスロを打ち始めることとなりました。

最初の頃は、サーフトリップ(アルぜ)、アステカ(エレクトロコインJ)、ワードオブライツ
(ミズホ)などを打っていた記憶があります。そして、ありきたりの話になりますが世に言う
「AT全盛期」の切っ掛けとなった獣王(サミー)を打ってAT機の爆発力に完全に虜となりました。
今スロゲーセンなどで懐かしさから打つと、ほぼほぼ白いリールと単調なゲーム性に長く打て
ませんでしたが、当時は「液晶アクション」「ゲーム性」そしてなんといっても「音楽」特にAT中
サバンナチャンスの音楽は、当時気が付けば鼻歌が出てた気がします(笑)

但し、獣王で良い思いをすることはありませんでした。何故なら超人気機種で設置台数も非常
に多い機種でしたが、「朝一全台サバンナチャンススタート」など店によってはイベントも凄く、
また設定⑥は、ほぼ確実に万枚突破というスペックから優良店の並びは徹夜も普通、抽選の
店では、よほどの良番じゃ無いと座れない状況のため、土日メインのサラリーマンスロッター
では、まともな設定の台に座ることが難しかったからです。スロプロ(専業)も、今とは比較に
ならない位多い時代でしたから・・・

そして”ほらんど”は、AT機にどっぷりハマってしまい、パチンコよりもパチスロメインとなります
更に2001年夏頃に吉祥寺のパチスロ専門店で打った当時の新台「ダブルチャレンジ」で初の
万枚(ほぼ2万枚)を経験します。「ダブルチャレンジ」の仕様は、AT当選時のゲーム数をドリー
ムチャレンジと称して1.5倍~30倍のダブルアップチャレンジを行うものでした。
当時AT100Gに当選し、30倍を選んで成功すれば「ライオンハート」と呼ばれホールから認定
ストラップが貰えました。”ほらんど”は、朝一番のドリームチャレンジに成功し「ライオンハート」
ストラップを手に入れ(スタートATゲーム数3000G)そのまま終わらないATを体験しました。

今なら嬉しい!というレベルで冷静に受け止めれますが、当時は舞い上がり40万円弱のお金
で豪遊し、翌日から「もっとパチスロが打ちたい!」と狂ったように平日の仕事終わりも含めて、
打ち続け始めることとなりました。

そして、生涯で一番打ち込むことになった「コンチ4X」と出会う事となったのでした。
出会ったから今の”ほらんど”があるのか?出会わなければ良かったのか・・・

人生は、不思議で切なく、そして楽しいものですね

 

キリが良いので、取りあえず今回はここまでとさせていただきます。
前回予告したパチスロ雑誌を基にした歴史まで辿りつかなかったので、
次回から書きたいと思います。引き続き、宜しくお願いします!

ほらんどブログ:火拳ほらんどのねだるな勝ち取れ(写真沢山込み)ログ
http://ameblo.jp/akirax00/themeentrylist-10087069982.html