11月 28 2015
最近感じるのは、かなりの人が先入観を持ちすぎているということだ。
11月は新たな試合が複数増えた。
店に下見を行く⇒稼働がなく「怖いから行くのをやめよう」と言う。
それを聞いた周りもそれだけで「行くのを止めよう」となる事もある。
試合当日を見るのではなく、関係ない日だけで判断していいものなのか?
ホールには予算というものがある。
それをどの日に多く使うかはホール次第だ。
当然ボランティアではないので絞る日もあるだろう。
ただ絞ってただけかもしれない日を見て「行かない」という選択を取るのは早計ではないだろうか?
開けた日を一度も見ていないで判断してしまうのだ。
パチスロで言えば一度も当たりを引いていないのにつまらないと言っているようなものだ。
しかも他人がつまらないから打たないというのと同じだ。
自分で判断するというのを放棄してる人も多い気がする。
あの人が好きなことだから同じものをやろう。
それ自体は問題ない。
周りがやってるから私もやってしまおう。
これは例えばマナー違反とかである。
もう、これは年齢層関係なくひどいと感じることが多々あるのだ。
外出するととても多くのストレスを感じる。
それは皆右にならえでやってしまえという集団心理の怖さである。
電車で降りる時に先に乗車しようとする人が一人いたとしよう。
まだ私が降りようとしてるのに無理矢理我先にと飛び込んでいく様はなんと表現していいものか。
うちの近くには二車線の大きな道路がある。
当然交差点はかなり巨大で
横には自転車用のエレベータまであり、大きな歩道橋がある。
それなのに信号が変わるのを待っている自転車の人がいる。
一人が待てば同じように待つ人が増える。
近くには警察はあるのに、警察は一切無視だ。
私は車で左折する時など、邪魔なのでクラクションを鳴らす。
本来人が渡るべきではないところなので当然だ。
だが、当の本人達はなぜか睨んでくる。
意味がわからない。
もう1つ別の話を。
私の住んでるところは駅から近い。
駐輪場に謎に自転車がたくさん止まってる時がある。
そう、住人ではない人が勝手に止めているのである。
管理人には当然話した。
それでもあまり意味はない。
たまたまそこに乗り付けた人と出くわしたことがある。
話しかけようとするとそそくさと逃げ出した。
次の日には同じように止まっていた・・・。
勝手に他人の場所に止めていくような人間が本当に増えた。
一度なくなっても別の自転車が止まる。
世の中少しどうにかなってしまったのではないかと最近思う事がある。
根本的に日本は平均を求める。
他人と同じ事を良しとし、他人と違うことを悪しと捉える傾向にある。
善悪などの基準が多数決で決まるようなものなのか?
悪いものは悪いとはならない傾向に危険さを感じる。
道の真ん中を子供が塞いでいた。
「どいてね」って言うと
親が出てきて「お兄ちゃんに怒られるからどきましょうね」と言う。
根本的なところで何かが間違っている。
ゆとりという言葉が本来持つべき意味と違う場面で使われる事が増えた。
人間と言うのは周りの環境に左右されやすい。
ネットを執拗に見てれば、そのネットの環境に左右されていくものだろう。
何か自分で違和感を感じるのであれば
それを打破しようとする動きをしないと何も変わらない。
何かしらのリスクはあるだろう。
それでも動かなければ何も変わらない。
むしろ後退していくだけである。