あれはいつだったか?

メジャーパチスロ3大誌のあるライターの一文が目に入った。

「あの店ゴミですね」

【ゴミ】というような言葉が文章で書かれた瞬間

時代は完全に変わったと思った。

【クソ】という言葉も昔はなかなか使わなかったと思う。

時代は変わって、よく言葉として見るようになり

私も使ってもいいかなと感じた。

読んでる人が普段使う言葉の方が伝わりやすいと感じたからだ。

悪い意味では一度も使ったことはない。

 

 

【クッソ面白い】

【クソ】は【凄い】と言う意味でも使われる。

【クッソワロタwww】

SNSが普及して、誰もが簡単に言葉を発するようになり

スラングのような形で言葉はどんどん広がった。

耳にする分、自分もいつのまにか発するようになる。

割と文章では使わない様に気をつけてはいたが

それも逆にわかりづらいのかなとも思うようになった。

言葉の最後に草を生やすのは

大多数の人間が読むものとしてどうなのかいまだにわからない。

(笑)としているのと

www草を生やすのでは

伝わり方は変わる。

その人の人間性がある程度問われると思うのだ。

そんな事考えもしない方も多いかもしれない。

文章は人が出る。

そう私は思う。

 

 

私の文章は割と堅いのかもしれない。

それはそれで自分の中で確立したものがあるので

なかなか抜ける事はない。

堅い文章の中でもパチスロがドラマティックであれば

勝手にその日は面白くなる。

何も起こらない日というのもあるかもしれないが

それはそれで何かの意味がある。

面白おかしく文章を書くのに

大きな文字、色、その辺は気にしている。

ただの文章は抑揚がなく目がなかなかついていかない。

ブログは割とさらっと読むので

結局大きな要点だけ見てる方も多いと思う。

コラムについては規制はしていないが

基本的には文章のみの勝負だ。

どれだけ一つの事に対して肉付けをし、深く落とし込んでいくか。

起承転結も気にしてみるが

書き出してみると取り留めもなく

何を書きたかったのか分からなくなることも多い。

今も【ゴミ】っていう言葉が誌面に載ってた衝撃を伝えたかっただけなのに

話が完全に飛んでいると思う。

それでも「あのコラムの~」って選手から話が振られると嬉しくなる。

人は自分の存在証明をしたがる生き物だ。

誰かと繋がってないと生きていけない。

読んでくれる人がいれば書き続けようと思う。