回胴連の試合だけに関わらずいわゆる「強い日」の店に行くと良く目にする光景がある。

50Gかそこそこ回されて夕方まで動かない台。

最近の台は高設定ほどリセット後に高確に行きやすいという特徴を持つ台も多いので高確が確認出来ずに捨てられ、他の打ち手もそれを知っているが故に動かないのだろう。

こういう台を目にすると、筆者としては非常にもったいないと感じてしまう。
高設定だからと言って100%高確に行く訳でないのであればその台が高設定である事を否定する要因にはならないのではなかろうか。

朝一高確に行かなかった、しかし小役は良く偶数挙動も示し結果として最高設定だという事もあり得るからだ。
以前のコラムでパチスロスタイルを足し算と引き算で例えたことがあるが、朝一高確否定で捨てた打ち手は恐らく足し算タイプの打ち手なのだろう。

良い要素がなかった時点で捨てる。

引き算タイプは良い要素がなくても他の部分に良い要素があればまだ打ち続けられる。

要するに感度の問題だ。

大きな設定差が見受けられない場合に「無い」と判断して捨ててしまうのか、それとも薄い設定差を見つけ出してそこに喜びを感じて打ち続けられるか。

薄いもしくは曖昧な設定差に喜びを見いだせるかの感度の違いで台を粘る人と捨てる人の違いが出てくるのだろう。

天井やゾーンを狙う期待値を稼ぐタイプの打ち手は曖昧な根拠を敬遠する傾向にある。
逆に高設定狙いをするタイプの打ち手は曖昧な根拠から粘って高設定を掘り当てる傾向にある。

筆者はどちらかというと後者のタイプで、曖昧な根拠を追っかける。
曖昧ではあるが、喜びとドキドキを味わう機会が長く得られるからだ。

それ故に自分が打つ台の設定差ポイントは薄かろうが濃かろうが極力頭に入れて打つようにしている。
感度をビンビンにした結果、曖昧な根拠に振り回され弄ばれ最後には財布の中身を根こそぎ奪われる事もあるが、長い時間ドキドキしている事自体が好きだ。

昔は曖昧なパチスロを打って結果として負けるのが好きではなかったが、今となってはこういう楽しみ方ができるようになった事を素直に喜べる。

たまにご飯には行くがその都度はぐらかされ、躱され、距離感が縮まったと思えばまた離れる。
そんな女子との曖昧なやりとりを楽しんでいるといつの間にか彼氏が出来てて徒労に終わる。
こんなやりとりも楽しめるようになったら、人生そのものがもっと楽しくなるのだろうか。

すくなくとも、半月では楽しいと思えませんでした。