フーリン

フーリン「煩悩滅殺打法」

 

 

筆者はペイアウトというものが基本的にあまり好きではない。

ペイアウトを極限まで高めようとすると、どうしても「楽しむ」ということに対するリソースが減ると思っているからだ。

ジャグラーで言えば成立ゲームでボーナスを揃える事で1枚のロスを減らせるが、ランプを光らせるという楽しみが減ってしまう。

1枚のロスを減らす事で果たして何%のペイアウトアップに繋がるのだろうか。
筆者としては、楽しい要素を削ってまで上げるほどのパーセンテージとは思えない

設定1でも甘いと言われる台の大半はボーナスタイプだが、ペイアウトを高めるのであればリーチ目を放棄して即座にボーナスを成立させるのが正解だろう。
だが、リーチ目を見る権利を金で買っているという考え方の筆者としてはいわゆる「生入れ」はあまり好きではない。

大事なのはペイアウトを犠牲にしてでも楽しいと思える台を自分が打てるかどうかだ。

先日、ディスクアップを打っている際に知人から「ビタ押し上手くないのに打ったら損じゃないか」と指摘を受けたが、筆者はART中の耳残り抜群のBGMとリーチ目を見たくてディスクアップを打っているのだ。
勝つに越したことはないが、最優先は好きな台を触るということだ。

ペイアウトを引き上げる為に楽しみを削る煩悩滅殺打法は勝つ為には重要だが、パチスロという機械はそもそも煩悩を具現化した様な存在だ。

収支をプラスに持って行く為にペイアウトの高い台を打つということは立派な戦法だが、ペイアウトを気にせず煩悩の赴くままに打つ事もパチスロを楽しむという点では大事に思う。

 

 

フーリン「魅力という字には鬼が住んでいる」

 

 

美男美女という言葉があるが、これに当てはまる人種は良くも悪くも他と一線を画す存在だ。

生まれてこのかた32年。
顔面バッドデザイン大賞金賞を受賞し続けてきた筆者にとっては別次元の存在だ。

少し前に木村拓哉のご息女がモデルとして世に出たが眼力といいスタイルといい、もはや覇王色の覇気でも纏っているかのごとく雰囲気を醸し出している。

美男美女を取り巻く環境というのは時折無法地帯を感じさせられる程に大目に見られる事が多い。

助けてもらったことを理由にして美女に化け、深夜にも関わらず家に泊めろと要求してくる鶴。

協力する素振りを見せて、宝が手に入った瞬間アッサリ裏切る不二子。

結婚を諦めさせるためとはいえ、求婚者に無理難題な贈り物を要求するかぐや姫。

自身の料理番組で異様なまでにオリーブオイルに固執するイケメンタレント。

多少の横暴が「俺様キャラ」として許されるイケメンアニメキャラ。

これらはルックスに恵まれていなければ到底許されない所業だ。

ルックスに限らず、どこか一つでも魅力があれば多少の事は大目に見られるというのは万国共通の免罪符なのかもしれない。

気付けば3枚目の万券を女泥棒にかすめ取られても、なんだかんだで許せてしまうのは驚異の一撃性能とタイプライターの気持ち良さという魅力のなせる技なのかもしれない。

魅力という時には鬼の字が入っている。
魅力と怖さは紙一重という事なのだろうか。
などと、金ぱっつぁんの様なことを考えながら女泥棒との駆け引きは続くのである。

不二子さん、たまには優しくしてください。

 

 

フーリン「面白さとは違う動画の魅力」

 

 

移動の新幹線などでパチンコ・パチスロの動画を見る機会が多い筆者だが、同じ演者の動画をひたすらに見るという事は少ない。

ほとんどの動画がガッツリ負けるかエラいフラグを引いてリアクションするかという動画に分けられるからだ。

動画が飽和状態の昨今、上記のパターンとは別路線を進んだり独特の持ち味を出している演者が人気なのだろうという事はど素人の筆者でも想像に難くない。

そんな中でシンプルに凄いと思えるのが攻略マガジン軍団長のレビン氏だ。

とにかく情報量が凄まじい。

一つの演出からその先の展開をほぼノーカットで言い当てている様を初めて見たときは鳥肌が立ったのを今でも覚えている。

主に番長と北斗を打つ事が多い氏だが、一体どれだけの時間を解析の暗記に費やしているのだろうか。
面白い動画というものは世にたくさんあるが、勉強になる動画というのは少ない。

レビン氏の動画はもはや教材の域にある。

世の中の価値観に大革新が起こりNHKでパチスロ講座の番組が始まる様な事があれば、間違いなくメインMCはレビン氏だろう。

演出の一つ一つで楽しみたい、もっと深いところを知りたいというユーザーの方々にはレビン氏の動画はオススメだ。

 

 

フーリン「たった1枚、されど1枚」

 

 

最近の新台にはボーナス+RTタイプが目立つ。
号機の変遷期ということもあり、かなり顕著だ。

世に出てるRTタイプの中では不二子Aが群を抜いて面白いというのが筆者の感想だが、そのほかの台も捨てがたい。

BAR狙いのチェリー落とし、滑ったらスイカを狙い外れればチャンス目という打ち方の台がホールの大半を占めた時期があるが当時と比べれば打ち方のバリエーションも豊富になった。
通常時の押し順ペナルティが無くなったことも大きだろう。

特に番長Aや不二子A、カンフーレディ・テトラなど、1枚役を絡めての打ち方が良い味を出している。

普通に小役を狙ってボーナスを待つのか、1枚役を狙ってペイアウトのアップを狙うのか。
1枚の払い出しの有無だけでゲーム性がガラリと変わる。

後者に至っては1枚役を取るゲームなのではという錯覚すら覚える程だ。

1枚役でペイアウトを稼ぐのであれば長時間打つ前提となるが、重いフラグを引いて1発を待つのとはまた違った趣を感じる。

筆者は伸るか反るか・デッドオアアライブの荒い台を好むが、パチスロを楽しむという点においては1枚役を狙う趣ある台も良いものだと思う。

惜しむらくは、カンフーレディの様に常時ビタ押しが要求される鬼畜な仕様がもう少し緩和されてくれると嬉しい。

 

 

フーリン「心の余裕」

 

 

筆者の友人には数名の専業がいる。

パチンコ・パチスロの収支で年金と保険まで支払っているのだから立派なものだ。

強い店に行くと偶然顔を合わせることもしばしばあり、筆者にとっては彼らがきているという事実が店に対する信頼度のバロメーターにもなっている。

いわゆる軍団と呼ばれる人々と彼らの決定的な違いは「余裕」にあると筆者は思っている。

個人的な意見になるが、軍団の人々は根こそぎ持っていこうとするイメージがある。
グレーゾーン(筆者にとってはブラックだが)な台の取り方をする軍団も見かける。

友人の専業勢はあくまでもルールの範囲内で黙々と期待値を積み重ねている。

そして自分以外の打ち手に対して比較的寛容に感じる。
同じホールで芳しくない状況に陥った際、それとなく良い台の情報を提供してくれることがある。

「あのサザンCだぞ」

そう声をかけられた時、サザン・アイズのCを見つけた専業勢ならば真っ先に座るのではと思っていた筆者はシンプルに驚いた。

聞いてみれば、自分はツモったし取り分は確保したから今日は上がるとの事だ。

大き過ぎる欲をかかずに取り分を確保したらストイックに撤退する。
こういう心の余裕が彼らを専業たらしめているのではと改めて感じた。

少なくとも、ホールに入る時は常に万枚という欲にまみれた筆者にとっては見習うべきところが多い。

専業勢・ガチ勢を「面白みがない」と否定する意見もあるが、グレーな台の取り方をする連中よりははるかにクリーンで見ていて清々しいものだ。

 

 

フーリン「ぶっ飛んだ思考回路」

 

 

まだ導入前だが、にわかにスロット打ちの間で話題になっている機種がある。

ルパン三世。

5.9号機にして、天井を搭載し法外な純増を誇る事で話題になっている。

仕組みとしては表面上の通常時が内部的には「増えないボーナス」、ART中が内部的には「やたらとMBが立つ通常時」という仕様だそうだ。

この話を聞いた時、まず最初に頭に浮かんだのは開発者の思考回路がぶっ飛んでいるという感想だ。

既存のルールを把握した上で抜け道を探し出し、それを現実にする。

不可能を可能にすると言っても過言ではない所業だ。

ルパン開発者はそれこそ怪盗に転職したら財を築くのが容易なんじゃなかろうかとすら思える。

実際にヒットするかは導入するまでわからないが、こういう台を開発してリリースまで持っていけるという事がシンプルにすごい。

5.9号機は出ない。という固定概念を根底からひっくり返している。

6号機が出るとパチスロがガラリと変わると言われているが、ぶっ飛んだ思考回路を持つ開発者が業界にいる限りなんだかんだ言って楽しめる台が出るんではなかろうかと希望が持てる。

近年、鳴り物入りで導入されるパチスロ機は大ゴケする傾向にあるがルパンがコケるのかヒットするのかは定かではない。

しかし、ルパン開発者のぶっ飛んだ思考回路は是非とも6号機開発にも活かしていただきたい。

 

 

 

フーリン「隠れ名機」

 

 

ここ数年のパチスロ新台導入ペースはとにかく早い。

触ることなく消えていく台、そもそも近隣で導入すらされていない台がほとんどだ。

非常にもったいないのはメジャー台の陰で消えていく台の中には独特なシステムを積んでいる台もあるということだ。

例えばパチスロ・ギルティクラウン。

あの台は頻繁にRT状態を行き来し、状態を把握すると面白さが数倍に跳ね上がる代物だ。

RT0を含めると6段階存在するRT状態を全て完全に把握することは不可能だが、中押しでの停止系からおおよその見当をつけて打つだけで楽しめる。

導入台数の少なさかそれともシステムが斬新すぎたのかギルティクラウンは導入と同時にバラエティ島への直行便に乗ってしまったが、一歩間違えば大ヒットから増産という可能性だって0では無かったはずだ。

筆者はリノをそれなりに嗜むが、リノがあそこまでヒットするとは思ってもいなかった。

何かのタイミングで愛好家のような存在に巡り合えていれば、ギルティクラウンもヒットしたかもしれないのだ。

結果として島の隅っこで佇む存在になってしまった台たち。

5.9号機を敬遠して打つ台が無いと言うのであれば、埋もれている名機を探し出すと言うのも一興ではなかろうか。

 

 

 

フーリン「運の総量」

 

 

人間というのは不思議なもので、ツイてる人とツイてない人というのが出てくる。

努力や才能でカバーできない、運という要素だ。

運だけで生きていける人間というのは流石に居ないと思うが、生きていく上での必須要素であることは間違いないだろう。

ツイている人とツイてない人という表現を聞くが、筆者はこの表現はあまり使わない主義だ。

人間の運の総量はみんな一緒だと思っている。
同じ総量の運を20代でガンガン使うか、60過ぎてから使うかの違いといった感じだ。

そうなると、若い頃ツイてる人間は年取ってから地獄のような思いをするという理屈になるが、得てしてそんなもんではなかろうか?

ズーッとツイてる人間なんてそうそういるもんではない。

きっと、持ち合わせた運を使い切れずにこの世を去る人もいるだろうし、意図せず余ってる人もいるだろう。

パチンコ・パチスロも立ち回りとして最適解を選択する努力はできるが、最後に勝敗を左右するのは運だと言う人もいる。

逆に運の要素は最小限、結局は確率と期待値だと言う人もいる。

きっとどちらも正解なのだろう。

ここでキモになるのは、運も期待値も確率も目に見えない物だということだ。

期待値主義者とそうでないと打ち手は対極に見られがちだが、最後に勝敗を委ねるのは目に見えないもの。という点では同じなのかも知れない。

 

 

 

フーリン「よーく考えよう。お金は大事だよ。」

 

 

勉強という言葉はどうしても人間にネガティブな印象を植え付けてしまう。

子供時分にテレビを通して未来から来た猫型ロボットに頼りがちなメガネ少年や、強いやつを見つけるとワクワクする格闘家を目にして勉強とはネガティブなものという印象を刷り込まれた筆者も勉強というものは苦手だ。

どうにも強いられる感の強い勉強というものだが、自分の好きなものならばどうだろうか。

好きな俳優が過去どんな作品に出演したのか。
自分で作る料理をさらに美味しくする為にはどういう工夫が必要か。
飼っているペットには何を食べさせるのが良いのか。

これらを調べるのも立派な勉強だ。

パチスロならば、解析や法則。
好きな機種を打ち込めば打ち込むほどこれらを覚える為にネットや雑誌で情報を収集する。

そして収集した情報を基にしてさらに楽しい思いをする。
パチスロにおいて勉強とは楽しむための手段の一つと言って良いだろう。

解析数値を全て覚える必要まではないにしてもどういうゲームフローなのか、どういう特化ゾーンなのか位は事前に頭に入れて打つ事を筆者は薦めたい。

最近ホールで少し打って首を傾げその場を立ち去るという打ち手を見かける。

数千円打って首を傾げて立ち去る。
これこそ真の意味での無駄遣いではなかろうか。

パチスロは私有財産を使ったスポーツだ。

私有財産なのだからどんな打ち方をしても自由であることに違いはないが、それでもよくわからないものに金を突っ込んで何も得ずに立ち去るというのは誰も得をしない行為ではなかろうか。

何も知らずに打って自分でどういうものか考えるという楽しみ方もあるが、そういう楽しみ方をする打ち手は首をかしげてやめるという事はないだろう。
ゲーム性を自分で掘り起こすという明確な目的もなく、ただただ私有財産を無駄にする打ち方は筆者からするとひどく残念に思う。

お金というのは大事なものだ。
大事なお金を使って仕事ほどの労力もなく楽しんだ上で使った以上のお金を得ようというのだ。
これ程の贅沢をするのであれば、ゲーム性くらい勉強してもバチが当たるもんでもないのではなかろうか。

 

 

フーリン「排除の論理」

 

 

生きていく上で避けて通れないものというのは必ずある。

確定申告、ローン審査、生理的に受け付けない人間への敬語、お説教、仕事での失敗etc
中でも、全人類が絶対に避けて通れないのが多数決だ。

学校でも会社でも必ず多数決というものは存在する。
良い見方をすれば人との関わりがある証拠という事になるが、悪い見方をすれば多数決というのは恐ろしく残酷なものだ。

以前ライターがハナビを打つ動画に対してのコメントで「ビタ押しできないのにアクロス打つな」というコメントを目にした事がある。
コレが1人の意見ならまだ良いのだが、このコメントに同調してライターを叩く人が大多数のだったのだ。

ビタ押しできないならアクロスを打つなという意見にも問題はあると思うが、ライターを擁護したコメントに対して複数の人間が批判的なコメントを投じた事に筆者は戦慄した。

少数派は叩く。
この考え方はパチスロ以外でのジャンルでも度々問題視される。

少数派は異端者として排除され、事の成否を問わず多数派が正義となるというのは改めて考えると怖い話だ。

実際ホールでも「強い日には絆を打っておけば問題ない。絆に行かないのは愚行だ。」という風潮が一時期蔓延していた。
今もこの風潮が強いホールは多数あるだろう。

異端者の行動は愚行であるというのは完全に排除の論理だ。

誰しも批判されたり排除されるのは怖いもので、多数派に混ざってれば安心という心理は理解できるが、自分と意見の異なるものをみんなで叩こうという考えは明らかに間違いだ。

みんなと同じなら大丈夫。みんなと一緒なら安心。
こういうエセ人類補完計画みたいな考え方がパチンコ・パチスロにも確かに存在している。

リーチ目を知らず、ビタ押しが出来なくても良いじゃないか。
小役を取りこぼしても良いじゃないか。
打ちたい台を打ってそれなりに勝った負けたを楽しめたかどうか。
結局のところそこに行き着けるかどうかが大事なのではなかろうか。

 

 

フーリン「とりあえず一発」

 

 

このコラムを読んでくださっている皆様の中にはパチスロしか打たないという人も居るだろうが、筆者はパチンコもそれなりに打つ。

というよりもパチンコ歴の方が長い。

法的にパチンコ・パチスロを打てる歳になったころ、スロットは4号機末期の時代だ。
興味はあったが、当時のスロットコーナーの狂気にも似た空気感が怖くて立ち入る事が出来なかった。

ホール内の狂気が和らいだ事もあり、パチスロを打つ様になったのは5号機からだ。
そこから一気にパチスロの比率が上がったのだがパチンコは今でも打つ。

それこそ、大好きな台を見つけるとパチスロそっちのけで1日パチンココーナーにいる事もある。
今はその対象が一発台だ。

天下一閃から始まった近代一発台シリーズは筆者のストライクゾーンど真ん中だ。
2018年に入ってからの収支表でパチンコカテゴリはほぼ一発台だ。

台の良し悪しがデジパチとは比べ物にならない程出玉に直結するが当たった際の気持ち良さはデジパチとは比較にならないほど気持ちがいい。

保留変化やら擬似連と言った煽りがほとんど無く、当たれば数千発確実に手に入る。
当たりを待つ間はひたすら無心。

うしおととらはデジパチの演出と連チャン性を持たせてはいるが、根本部分では一発台なので、他の一発台同様煽りの比率は少ない。

出玉規制や確変比率が低くなり、パチンコで大勝ちは難しいと言われる様になって久しいが、一発台には大勝ちの夢が確かにある。

当たれば気持ちいい上に出玉がでかい。
パチンコの原点を具現化したジャンルだと言っても過言ではない。

パチンコの煽りは苦手という方には声を大にして一発台をオススメしたい。

1つ注意点を挙げるとするならば、負けを取り返そうという思考で打つ事はオススメしない。
抜けない、クルーンで弾かれるといった事象を数万負けている精神状態で体験すると歯を食いしばりすぎて奥歯が砕け散る可能性があるからだ。

1000円で7回抜ける天下一閃に8万突っ込んで奥歯の詰め物が取れるという体験をした者として、この点だけは肝に命じていただきたい。

皆様の奥歯が健康であらんことを。

 

 

フーリン「強さと上手さ」

 

 

強いと上手い
褒め言葉として受け取るならばどちらが好ましいだろうか。

強いと褒められる方が良い人間も居れば、上手いと褒められる方が良いという人間もいるだろう。

どちらか選べというならば、筆者は強いと褒められたい。
パチスロにおいて、筆者は強さを求めている。

パチスロでの上手さというのは勝率が高く最終的に上手くまとめる打ち手、強さとは設定や立ち回り以上に腕力で勝つ打ち手だと筆者は思う。

期待値や設定を根拠に立ち回る打ち手は客観的に見て上手いと思うし参考にするところも多い。
一時期は期待値を追う打ち方を試してみたが、ある日自分には向いていないことに気付いた。

どうしても気持ち良さを優先させてしまう。

上乗せの気持ち良さ。
音の気持ち良さ。
目一杯負けているところから捲る気持ち良さ。

気持ち良さを求める時点で期待値を追うことを辞めていた。

そうはいってもパチスロは勝たなければ面白くない。
そうなると必然的に強さが必要になる。

必要なタイミングで強い役を引く強さ。
50%を通す強さ。
大きく負けても最後まで勝ちを目指すメンタルの強さ。

上手さは経験や知識で作り上げる事が出来るが強さを作り上げるのは難しい。

ベストキッドよろしく、格闘技におけるディフェンスはひたすら車の窓を拭き続ければ上手くなれるかもしれないし、精神と時の部屋に籠もれば人より早いペースで成長できるかもしれないが、あいにく日本の不動産屋は精神と時の部屋の賃貸契約はしていない。
パチスロに効果的なトレーニングというのはあるのだろうか。
レバーオンを素振りしてパチスロが強くなれるという話は今のところ聞いた事がない。

パチスロで強くなる方法を探すのが筆者にとって1つのテーマだ。

しかし1つ懸念がある。
仮にパチスロにおいて無敵の強さを手に入れたとしよう。
結果として今気持ちいいと感じている事が普通になってしまうのではなかろうか。

気持ち良さを求めた結果、気持ち良さが消えるんじゃなかろうか。

そうなってしまっては本末転倒だ。

ここまで散々強さに関して書いておきながら、結果として強くなったら目的から遠のくという懸念が生まれてしまった。

結局のところ、強さを求めながらたまに来る気持ち良さに身悶えするのが1番いいという事なのだろうか。

スカウターがぶっ壊れるレベルまでパチスロ戦闘力を上げる事を目標に引き続き強さを追い求めようと思う。

 

 

フーリン「なんだかんだで丸2年」

 

 

回胴連で2軍コラム募集があったのが2年前。

このコラムも丸2年が経過した。
一回の休載も無く毎月続けられたのは手前味噌ながら良くやったと思う。

思い返せばこの2年、色々な事があった。
4歳にして天使のごとく可愛さを備えた姪は6歳になり、もはや女神の域に達した。
地元の駅にはコンビニすらなかったのにドトールが出来た。
大学のゼミメンバーでとうとう最後の独身になった。
撤去されると言われ続けたゴッドは未だにホールで筆者の金をむしり取っている。
色んな識者が「終わりだ」と表現したパチンコ・パチスロは未だに終わっていない。

周りの環境は変わったが、筆者自身は何か変わったのだろうか。

空いた時間にパチスロを打ち、大体負ける。
朝から気合いを入れてホールに行き、大体負ける。
移動中にスマホでボートに勤しむ、大体負ける。
珍しくパチスロで勝った金でボートに勤しむ、大体負ける。

基本的に負けている。
割とでかく負けている。

幸いなのは、人生に関しては負け組ではないであろう事だ。
決して勝ち組というわけではないが、負け組でもないと自負している。

社会の流れの中で中層近辺をのらりくらりと泳いでいる。

のらりくらりとした文章で、暇な時間に爪でも切りながら読めるライトなコラムを今後も書いていければ幸いだ。
少なくともクビになるまでは続けるつもりだ。

今後とも筆者の駄文にお付き合い願いたい。

 

 

フーリン「モチベーション0」

 

 

仕事も遊びもモチベーションというのは大事だ。

なんの目標もなく漫然と事を進めると残るのは後悔や虚無感といったネガティヴなものだ。

筆者は時折、パチンコ・パチスロへのモチベーションが限りなく0に近くなる事がある。

大概の負けは凹みこそするもののモチベーション0まではいかない。
しかし、1回の負けでモチベーションを根こそぎ持っていかれる事がある。

当選率60%の役を何回引いても40%の非当選が選ばれる。
100分の1以下の小役が500G間引けない。
ビッグ先行型のノーマルタイプでバケ地獄。

これらはどうしようもない確率の妙だが、打ち手である我々が人間である以上どうしても辛い。
ある種の無力感に襲われ、どんな機種を打っても同じなんじゃないかと感じてしまう。
オーバーな言い方をすれば自己を否定されるようなものだ。

パチンコ・パチスロを引退して行く人々はスペック的に無理だと感じる人の他に、このモチベーション0状態から抜け出せない人もいるのではないかと思う。

この状態に残念ながら特効薬はないが、パチンコ・パチスロを生業にしている人はともかく大多数の打ち手は趣味として打っているのでモチベーションが0な時は無理して打つ必要はない。

無理して打てばただ嫌いになるだけだ。

不思議なものでモチベーション0の暗黒期が来るのと同じようにモチベーションが振り切って何を打っても負けない無敵期間というものもある。
何かの拍子で打った時にたまたま無敵期間に突入してモチベーションが上がるのを待つくらいでちょうど良いのだろう。

残念な事にどちらも予告無しに突然やって来るので始まりも終わりも事前に察知するということは出来ないが、モチベーション0の期間も含めてパチンコ・パチスロなのだと最近思う。

恋愛においてモテ期という言葉があるが、これも突然始まり突然終わる。
パチンコ・パチスロと恋愛の数少ない共通点だ。

記憶にある範囲でモテ期がきた記憶は皆無だが何かの拍子で突然始まるのだろう。

モテ期と無敵。

どっちでも良いので来週あたり来てくれませんか?

 

 

フーリン「人生の必修科目は【理不尽】」

 

 

人は誰しも理不尽な目に合うものだ。

1つしか歳が違わない先輩に奴隷の如く扱われる運動部。
親戚からもらったお年玉を親に回収される。
思春期の妹に目が合っただけで舌打ちされる。

抗うことのできる理不尽もあるが、抗えないものもある。

抗えない理不尽の多くは子供の頃に受けるものだ。
子供の頃に親や教師から受ける仕打ちを理不尽と感じてしまうのは子供の常だ。

盗んだバイクで走り出したり、軋むベッドの上で優しさを持ち寄ることが共感を得るのはこの為だろう。

筆者の実家にはその昔監査制度が存在した。
母親から監査を受け、指摘が入るとお小遣いが没収される。

1つの指摘でお小遣いから200円没収。
1ヶ月のお小遣いが中2まで500円だった筆者にとっては地獄のような仕打ちだった。

監査は主に片付けに関してだ。

靴が並んでいない。
プレステが出しっ放し。
野球部のユニフォームが泥付きで洗濯カゴに入ってる。

これだけでお小遣いは消滅だ。
ちなみにマイナスが500円を超えた場合オーバー分は来月のお小遣いから引かれる。

当時は心底理不尽だと思ったものだ。
筆者は15歳でバイクを盗む事もなくこの理不尽に耐えた。

ところが最近、当時の理不尽が理不尽ではなかったと思えるようになってきた。

筆者は仕事柄新幹線をよく使うのだが、新幹線には2種類の人間が乗っている。
席を綺麗にして降りる人間と汚くして降りる人間。
要は片付けが出来る人間と出来ない人間だ。

5年くらい新幹線を使って生活しているとなんとなくわかってくるのだが、片付けが出来る人間は大概優秀なのだ。

新幹線だけでなくオフィスやホテルでもそうだ。
仕事が出来る人は片付け上手だ。

ジャンルを変えるとパチンコ・パチスロで強打や台パンをする様な人間の席はやはり汚い事が多い。

灰皿に収まらず周りにブチまけられた灰。
空き缶放置。
その他ゴミの放置。

片付け1つの良し悪しで色々と見えてくるものだと今更ながらに実感できる。

母親が筆者のお小遣いを根こそぎ奪うという理不尽を与えていたのも、今思えば片付けの出来る人間は優秀だということを知ってのことだったのだろう。

当時は理不尽と闘っているつもりでいたが、闘いと言うよりは教習みたいなもんだったのだろう。
なんでもかんでも親の言う事を聞くのが良いとは思わないが、聞いておいて損しないことの方が多いのかもしれない。

なんの前触れもなく筆者の元に実家のキッチンリフォームの請求書が届いたが、この理不尽もきっと母親から筆者へのなんらかの教えが隠されているのだろう。

理不尽の裏に隠された教えがなんなのか、当分気付ける自信がございません。

 

 

フーリン「なんだかんだで3年目」

 

 

回胴連ホームページで2軍選手のコラム掲載の募集があったのが2016年2月。

なんだかんだでもうすぐ3年目だ。
おかげさまで一度の休載もなく続けさせてもらっている。
1月2本投稿なので合計48本のコラムを書いたことになる。

ブログも試合もオフ会もそうだが、こういう風に参加している実感を味わえる事を続けられるというのはありがたい話だ。

筆者としてはクビ宣告を受けるまでは続けていこうと思っている。

ダラダラと主にパチンコ・パチスロに関わることを書いているが、今年は他の事でも書けるようにしていこうというのが筆者なりの小さな目標だ。

強いて希望を挙げるとするならば、コラムを書く人がもう少し増えてくれたり、コラムを読んでくれた人達の反響が知れるようになるとありがたい。

前者はもちろん盛り上がりに関してのこと。

後者に関してはポジティブな反響もネガティブな反響も自分なりに糧にしたいと思っているからだ。

文章構成などは完全に自己流なので読みにくいと思っている人もいるだろう。
言葉の使い方がおかしい部分もあるだろう。

そういう部分の指摘は本流のブログにも活かせるだろうし、客観的な意見はもらえるに越したことはない。

色んな人が書いてるが、今年はパチンコ・パチスロも色々変わる年になるだろう。

そういう部分にも触れながらまた1年お付き合いのほどよろしくお願いします。

 

 

フーリン「身悶えする熱さ」

 

 

2017年はとにかくパチスロのリリースが多かった。

特に大都技研は豊作だ。

番長3は看板機種として多くのホールで目にしたし、夏以降に出た政宗2と剛衛門も秀作と言っていいだろう。
導入は少なかったものの忍魂など神台だと思っている。

忍魂以外の3機種の共通点として「期待度の積み重ね」というものがある。

番長は対決中の逆転はもちろん前兆中の対決ランクアップ抽選、政宗は対決中のみならず前兆全ゲーム全役での逆転抽選、剛衛門は盗目の積み重ね。

筆者がこれらの機種を秀作と位置づけるのはいくら期待値を積み重ねても必ず当たると言うわけではない点だ。

政宗2を例に挙げると高確中のミッションでチェリー示唆が出た際に強チェリーを4つ重ねたとしよう。
1回につき50%の逆転抽選だ。

32G間にこれだけ引いたのだから当たってもらわなきゃ困ると思うのが人情だ。

それでも外れるのだ。

そして、だからこそ熱いのだ。

確率的には当たる可能性が高いとはいえ確定ではない。
ただただ期待度に身を委ねるのではなく自分で当たりを引っ張り込む。

ここまで引いたのに確定じゃないなんて・・・と不満を持つ打ち手もいるだろうが、ハズレる熱さというものもパチスロには存在するのだ。

当たること、玉が出ることが楽しいというのがパチスロの本流だが自分で引き寄せた期待度に身悶えする過程を楽しむというのもパチスロの魅力だと筆者は思う。

皆さんも身悶えするパチスロ、是非試してみていただきたい。

 

 

フーリン「耳栓」

 

 

筆者は2年ほど前からホールに打ちに行く際は耳栓を必須としている。

人間ドックで聴力の低下を指摘されたことがキッカケだ。
今となってはホールを前にしても耳栓を忘れれば打たずに帰る程の必須アイテムとまでなった。

元々パチンコ・パチスロにおいて音に関して重点を置いている筆者としては耳栓をしたら肝心の音が聞こえなくなるのでは?という疑念もあったが、むしろ耳栓をしている方が台の音というものを楽しむことができる様になった。

音が完全に遮断されるわけではなく、むしろ特定の音がクリアに聞こえる様になるのだ。
初めて耳栓をつけて打った時、ウェイト音がくっきり聞こえた衝撃は今でも忘れない。

耳栓効果を実感してからは自分に合う耳栓探しに注力もした。
今使ってる耳栓に辿り着くまでに少なくとも10種類は購入している。

なんだかんだと試して今の愛用耳栓にたどり着いたが難点もある。
ホール内での会話にかなり気を遣わなければならないのだ。

耳栓をしていると自分の声がクリアに聞こえ過ぎてしまうので小さな声で喋ってしまう傾向にあるので、相手からしたら何を喋ってるかさっぱり聞き取れないのだ。
耳栓をつけ始めた当初は回胴連の試合で意思疎通が困難だったのを覚えている。

会話にコツは必要だが、上手いこと使うとパチスロを楽しむ為のツールとして存分に威力を発揮してくれる耳栓。

耳に物を入れる事が苦手という方は難しいだろうが、イヤホン突っ込んで音楽を聴くよりはパチスロを楽しめるのではなかろうか??

音楽を聴くのが悪いとは言わないが、音楽はスマホにでも入れておけばどこでも聞くことができる。
パチンコ屋にいる時はパチンコ屋でしか聴くことのできない音で楽しむのも存外オツなものである。

そう思いつつ、この文章を考えている最中にホール独自の音を聞くことになる。

コイン投入のし過ぎで起こるメダルオーバーフローのエラー音。
このエラー音だけはもう2度と聴きたくない。

 

 

フーリン「考える楽しみ」

 

 

設定推測というのは読んで字のごとく設定を推測する事だ。

つまりは与えられた情報から物事を予想して行く事だが、最近どうにも設定推測という言葉が空虚に思えてならない時がある。

台が親切過ぎると思えてしまうのだ。

設定2以上、設定3を否定、設定4以上。
昨今は演出を見ているだけで設定が絞り込めてしまう台が増えてきた。。

そして打ち手はひたすらブン回して特定の演出が出る出ないで押し引きを図る。

小役をカウントする事もなく、CZの当選率を計算する事もない。
ただひたすらに特定の演出を待つ。

言ってしまえばネタバレ待ちということだ。

台の挙動やホールの癖から設定推測するのがパチスロの楽しみだと思うのだが、その楽しみが薄れてきている様に感じる。

もう少し打ち手に厳しくても良いんじゃなかろうか。
そんな風にさえ思ってしまう。

調べなくても聞けば情報が手に入る。
仕事でもなんでも考える前に聞いてしまおうという風潮が危惧される事もあるが、設定推測にも同じ事が言えるのかもしれない。

確定系演出の全てがダメとは言わないが、それにしても確定系演出搭載機種が多過ぎる気がしてならない。

ただひたすらにブン回すよりも通常時の挙動を見て考えながら打つパチスロというのも存外楽しいものだ。

下手をすれば1日で10数万円手に入る可能性があるのがパチスロだ。
考えることをせずに結果と出玉だけ求めるのはどうにも贅沢な気がしてならない。
人間は油断すると楽な方へと流れてしまう生き物だ。
確定系演出はどうにもこの部分が強調されてしまうのではないかと危惧してしまうのだ。

5.9号機の登場で設定差という物が重要視されなくなるという意見もあるが、基準がどう変わっても推測する楽しみというものは最低限残しておいてもらいたいものだ。

 

 

フーリン「終わりの意味」

 

 

誰が終わらすのか

ここに来て今まで以上に目にすることが多くなった文言がある。

「今度導入される規制でパチンコ・パチスロは終わる」

規制などの転換期が訪れると必ずと行っていいほどこの文言が出回る。

そして出回る度に筆者は思うのだ。

終わった試しがない。

巷で散々出ない出ないと言われ続けた5.5号機と呼ばれる新基準機達も今となっては刺されば万枚も現実的に見える機種が溢れかえっている。

アベレージとしての万枚到達率は下がっているだろうし出玉速度も格段に落ちているが、つまらなくなったかと言えば否だ。

終わった物があるとすれば、短時間で大きな収入を得られる現象が終わっただけでパチンコ・パチスロが終わったとは到底言い難い。

そもそもスペックの数値だけ見て終わったと断ずるのはナンセンスだ。
パチンコ・パチスロ打ちの中で確率の偏りというものを経験した事がない打ち手は居ないだろう。

確変突入率が65%だろうと確率通り連チャンが終わるわけでもない。
機械割が102%だろうと短日で120%以上の出玉を得られない訳でもない。

確率というのは短期的に見ればどうしたって偏りというものが発生するものだ。

パチンコもパチスロも偏りがあるから面白いのだ。
偏りというものが避けて通れない以上、如何にそこを楽しむかが醍醐味なのではないだろうか。

ことパチスロに於いて1番強い打ち手はどんな打ち手かと問われれば筆者は「引きが強いヤツ」と答えるだろう。

どんな機種だろうと、どんな重いフラグだろうと引きが強ければ問題ない。

だが実際問題早々都合よく引きが強くなる訳ではないから打ち手は解析を勉強したり期待値を計算したりする訳だ。

勉強しても計算しても偏りというものは必ず訪れる。

悪い方に偏ることの方が多いかもしれない。
そうなった時に「もう今のスペックじゃ終わってっから」と批判ばかりしていては自分で選択肢を狭めてしまう。

規制で終わったのではなく自分で勝手に終わらせてしまうのは実に勿体無い話だ。

偏って見ると書いて「偏見」。
昔の人は上手いこと言うものだ。