お客様は神様です。

などという言葉が一昔前に存在した。
学生時代に百貨店の菓子売り場でバイトしていた筆者も神様扱いされているお客や神様扱いを要求するお客を何度も見てきた。

そして、見る度にこう思ったものだ。

この人達は何かを得る為に金を払うという至極当たり前のことをしているのに何故神様扱いを受けるのだろうか。

サービスを受けたり欲しい物を手に入れる為に金を払う。
至極当然の事なのに何故敬われる事に違和感がないのだろう。

さすがにお客様は神様という扱いを今も愚直に実行している業界は少ないだろうがそれでも様付けで呼び、事あるごとに敬うという光景は色々な接客で目にする。

パチンコ屋でも目にする。

プロスポーツ選手並みの軸のブレなさ加減から繰り出されるお辞儀。

選挙演説する議員並みの声量で発せられる挨拶。

その圧力たるや、朝の入場時につられて挨拶してしまう程だ。

正直なところ筆者はお客様扱いされるのが苦手だ。
不満ではない。むしろ見ていて気持ちいいものではあるのだが苦手だ。

パチンコ屋に入る時皆さんは何を思って入るだろうか。

ホールの売り上げに貢献しようと思って入る人は少ないはずだ。

筆者の場合、数千枚のメダルつまりは数万円をホールからブッこ抜くつもりで入店している。

もちろん楽しむ事が前提だが、結果としてブッこ抜けるものならブッこ抜きたいというのが正直なところだ。

そう思えば思うほどにお客様扱いされると恐縮してしまう。

品揃え豊富な自販機と適度な威力のウォシュレット、そして笑顔の素敵な女性店員がいれば多少態度が悪くても構わない。

我々は神様などでは無いのだから。

仮に利益をもたらす者、つまりは負けて帰るお客を神様として扱うのであれば、その扱いは慎重に願いたい。

負けて帰る者が笑顔でお礼を言われる。
死者に鞭打つ鬼畜の所業だ。

負けて帰る者には慈母の如き優しさを、ブッこ抜いた者には世紀末覇者の如き厳しさを。
一辺倒に敬われるよりはこちらの方がよっぽど自然なのではなかろうか。

ここ数日、低設定の北斗救世主のラオウステージ並に世紀末覇者に会えそうで会えない状態を繰り返しているが、かといって慈母に会えたのかといえばそうでもない。

敬いは要りません。

だれか筆者を慈しんでください。