人は誰しも理不尽な目に合うものだ。

1つしか歳が違わない先輩に奴隷の如く扱われる運動部。
親戚からもらったお年玉を親に回収される。
思春期の妹に目が合っただけで舌打ちされる。

抗うことのできる理不尽もあるが、抗えないものもある。

抗えない理不尽の多くは子供の頃に受けるものだ。
子供の頃に親や教師から受ける仕打ちを理不尽と感じてしまうのは子供の常だ。

盗んだバイクで走り出したり、軋むベッドの上で優しさを持ち寄ることが共感を得るのはこの為だろう。

筆者の実家にはその昔監査制度が存在した。
母親から監査を受け、指摘が入るとお小遣いが没収される。

1つの指摘でお小遣いから200円没収。
1ヶ月のお小遣いが中2まで500円だった筆者にとっては地獄のような仕打ちだった。

監査は主に片付けに関してだ。

靴が並んでいない。
プレステが出しっ放し。
野球部のユニフォームが泥付きで洗濯カゴに入ってる。

これだけでお小遣いは消滅だ。
ちなみにマイナスが500円を超えた場合オーバー分は来月のお小遣いから引かれる。

当時は心底理不尽だと思ったものだ。
筆者は15歳でバイクを盗む事もなくこの理不尽に耐えた。

ところが最近、当時の理不尽が理不尽ではなかったと思えるようになってきた。

筆者は仕事柄新幹線をよく使うのだが、新幹線には2種類の人間が乗っている。
席を綺麗にして降りる人間と汚くして降りる人間。
要は片付けが出来る人間と出来ない人間だ。

5年くらい新幹線を使って生活しているとなんとなくわかってくるのだが、片付けが出来る人間は大概優秀なのだ。

新幹線だけでなくオフィスやホテルでもそうだ。
仕事が出来る人は片付け上手だ。

ジャンルを変えるとパチンコ・パチスロで強打や台パンをする様な人間の席はやはり汚い事が多い。

灰皿に収まらず周りにブチまけられた灰。
空き缶放置。
その他ゴミの放置。

片付け1つの良し悪しで色々と見えてくるものだと今更ながらに実感できる。

母親が筆者のお小遣いを根こそぎ奪うという理不尽を与えていたのも、今思えば片付けの出来る人間は優秀だということを知ってのことだったのだろう。

当時は理不尽と闘っているつもりでいたが、闘いと言うよりは教習みたいなもんだったのだろう。
なんでもかんでも親の言う事を聞くのが良いとは思わないが、聞いておいて損しないことの方が多いのかもしれない。

なんの前触れもなく筆者の元に実家のキッチンリフォームの請求書が届いたが、この理不尽もきっと母親から筆者へのなんらかの教えが隠されているのだろう。

理不尽の裏に隠された教えがなんなのか、当分気付ける自信がございません。