3月 19 2019
5.9号機が市場に出てから1年と少し経ち、6号機が出てからは半年が経過した。
5.9号機以降の1番の変化を挙げるのであれば完走だと筆者は思う。
機種によっては当たったら必ず完走出来てしまうんじゃないかと錯覚する様な上乗せ性能を持った機種も多数ある。
その上乗せ性能も完走というゴールがあるから搭載出来るわけだ。
上限の範囲内であればやりたい放題やって打ち手に楽しんでもらおうというメーカー側の意図だと筆者は受け取っているが、どんなに突き刺さっても強制的に終わらせられるのが嫌だという打ち手もいるだろう。
万枚出すにしても4回完走させるより1撃で出し切ったほうが良いという声を聞いたことがあるが、もっともだと思う。
だが今後出てくるAT機では1撃万枚は事実上不可能なのだから完走という仕組みをどう受け入れてどう楽しむかにシフトしなければならないのが実情だ。
実際、完走した際のエンディングに設定推測要素を盛り込んだ機種も出てきている。
エンディング込みでどう楽しめるかをメーカー側が考えているのであれば、打つ側もエンディング込みでの楽しみ方を考えた方がポジティブだ。
とはいえ、完走した後というのはどうにも「後の祭り」ならぬ「祭りの後」感が凄まじい。
筆者も複数機種で完走させたことがあるがどの機種もなんとも言えぬ疲労感の様なものが込み上げ、もう1周させようという気持ちより次は何打とうという気持ちの方が強くなる。
完走させた打ち手全員がこういう思考になるかはわからないが、メーカー側がのめり込み防止の為に「祭りの後」感を感じさせるところまで考えて演出を組んでいるのだとさえ思う。
実際、海物語の魚群が右から流れるのは脳科学的に右から来た方が気持ちよさが増すという説を基にしているとの話もあるくらいなのだからそういう心理的な演出があっても不思議ではない。
メーカーとしては稼働して欲しい訳だからそんな事しないとは思うが、それ程までに完走後のあの疲労感は凄まじいものがある。
メーカー側による打ち手の心理をついた巧妙な演出なのか、筆者が歳とって疲れやすくなっただけなのか。
パチスロにまた1つ、立証不可能な説が生まれた訳である。