ここで書かせていただくコラムも20回目となりました。

どれくらいの人が見ているか分かりませんが、このコラムをきっかけにブログに遊びに来てくれる方が増えるといいな。

そう思いながら40回60回と書き列ねて行こうと思います。

…………………………………

時代は4.7号機の到来、この頃の記憶は曖昧ミーマインなんですが、普通に4.5号機あったのかな。主役は銭型は4.7号機になるみたいだから、しばらくは同時に設置されていましたね。

4.7号機といえば、『出ない6』『事故らない6』これに尽きるかなと個人的には思っていました。

4.5号機と言えば119%が当たり前、なんなら万枚も十分狙える機械割りでしたね。

しかし4.7号機は違いました。とにかく爆発力を抑え、安定志向に。安定といっても、中々右肩上がりにはならない安定。

250ゲームは越えないけど、連チャン性はないよ?
ボーナスはめちゃくちゃ軽いけど、ほぼ単発だよ?

そんなイメージの台ばかりでしたね。粒を見ているだけで6を使っているか否かは簡単に看破できました

上手い人や癖読んでる人は高確率でツモれた時代だったかもしれませんが、個人的には打ちたい設定は5>6でした。

いかんせん、設定6は面白くない。作業感半端ない。そのくせ負けるときは一日ぶん回しても負ける。

なんなんでしょうね(笑)

ここで第一次パチスロ離れが進んだのは言うまでもないでしょう。

5号機到来がパチスロ離れだと言われていましたが、吉宗や北斗に明け暮れた方はこの時代の機種は面白いと感じなかったと思います。

この辺から段々とおかしな方向に規制が入りだしたんですね。本当止めてください。(切実

この頃から告知規制や札系が禁止になってきました。(大阪は)

換金率はまだ等価があったと記憶していますが、貯メダル、手数料無料というのはまだ先ですね。

先行き不安になり始めたパチスロ業界。

そこへパチスロ離れに拍車をかけるように5号機の到来がやってきました。

そんな5号機のお話は次回へ。

みなさんの好きな4.7号機はなんでしたか?

自分はガメラHGVでしたね~。あの頃は連続で小役引くのもそれほど苦手意識はなかったです。

いつのゴッドからだろ(笑)

ではではー。