前回の「パチスロの勝ち方」コラムでは

勝つべき行動の難しさについて述べた

言うのは簡単だがその実行うのは非常に難しい「勝てる動き」

その難しさの中で多くの方が直面するであろう一つ

「打ちたい欲求」について今回は述べていこうと思う

 

 

パチスロで勝ちたい!!と思うことは決して不自然ではない

お金がかかってるから面白いこの遊戯

勝ちたいと思うのは極自然だろう

…しかし、勝ちたいという気持ちともう一つ

多くのプレイヤーが持ってる欲求

それが「打ちたい」という欲求だ

前回の「パチスロ勝ち方」のコラムでも書いた通り、パチスロで勝とうとするならば

「勝てる見込みがある台」のみに座るというのがまず条件になる

しかしその条件を満たすということは

必然的に「勝てる見込みが無い台」には座らないということになるのだ

そしてホールにいって毎回「勝てる見込みがある台」が見つかるかと言えば実際そうではない

むしろ見つからないことが多いのが現実である

これがパチスロで勝つうえで、ある意味最初の関門になると私は感じている

打ちたいが勝とうとすれば打たないほうが良い…

こういう場面に遭遇したことは実際多くの人があるだろう

自分のブログを読んでいただいてる方や実際同じホールで時間を過ごしたはお分かりだと思うが

小僧という人間は基本的に勝とうとする動き以外はホールの中ではしない

そんな人間があえて言おう

『打ちたい時は打てばいいのだ』

「勝ちたい」という言葉は非常に便利である

100円でも10万円でも種類を「勝ち」と「負け」のみで区別するなら

金額に問わずそれは「勝ち」なのである

「勝ちたい」というのに明確な目標金額が無ければ

正直私は打ちたい時は打ち、勝てる動きが出来る時はキッチリその動きをする

それで構わないと思う

勿論明確な目標金額があるなら我慢しなければならないこともあるだろう

だが、正直ガッチガチの動きしかしないパチスロは

楽しいどころか人によっては辛く感じる人もいると思うのだ

自分はどちらかと言うと人と感覚がかなりズレているので例外だが

「勝ちたい」以前に「楽しみたい」を優先することがある意味大事だと思う

 

 

所詮パチスロは遊戯の範囲だ

「勝ち」にしろ「楽しい」にしろ

人それぞれ十人十色の価値観がある

自分が一番自分に合ってると思う「勝ちたい」と「打ちたい」のバランスで遊戯するのが一番良いのだ

何かを得ようとすれば何かリスクを背負ったり我慢しなければならないのはパチスロだけではない

「打ちたい」という欲求を満たそうとしたら「負ける」というリスクを背負わなければならないし

「勝ちたい」という欲求を満たそうとしたら時に「打ちたい」を我慢することも必要になる

ただ、金額的に勝ったとしても「楽しんで勝ちたい」という人が「楽しくないけど勝てた」というのは

「負け」と同じだと私は思う

自分にとって心地よいバランスでの遊戯を

「楽しい」と思える遊戯をしてほしい