誰が終わらすのか

ここに来て今まで以上に目にすることが多くなった文言がある。

「今度導入される規制でパチンコ・パチスロは終わる」

規制などの転換期が訪れると必ずと行っていいほどこの文言が出回る。

そして出回る度に筆者は思うのだ。

終わった試しがない。

巷で散々出ない出ないと言われ続けた5.5号機と呼ばれる新基準機達も今となっては刺されば万枚も現実的に見える機種が溢れかえっている。

アベレージとしての万枚到達率は下がっているだろうし出玉速度も格段に落ちているが、つまらなくなったかと言えば否だ。

終わった物があるとすれば、短時間で大きな収入を得られる現象が終わっただけでパチンコ・パチスロが終わったとは到底言い難い。

そもそもスペックの数値だけ見て終わったと断ずるのはナンセンスだ。
パチンコ・パチスロ打ちの中で確率の偏りというものを経験した事がない打ち手は居ないだろう。

確変突入率が65%だろうと確率通り連チャンが終わるわけでもない。
機械割が102%だろうと短日で120%以上の出玉を得られない訳でもない。

確率というのは短期的に見ればどうしたって偏りというものが発生するものだ。

パチンコもパチスロも偏りがあるから面白いのだ。
偏りというものが避けて通れない以上、如何にそこを楽しむかが醍醐味なのではないだろうか。

ことパチスロに於いて1番強い打ち手はどんな打ち手かと問われれば筆者は「引きが強いヤツ」と答えるだろう。

どんな機種だろうと、どんな重いフラグだろうと引きが強ければ問題ない。

だが実際問題早々都合よく引きが強くなる訳ではないから打ち手は解析を勉強したり期待値を計算したりする訳だ。

勉強しても計算しても偏りというものは必ず訪れる。

悪い方に偏ることの方が多いかもしれない。
そうなった時に「もう今のスペックじゃ終わってっから」と批判ばかりしていては自分で選択肢を狭めてしまう。

規制で終わったのではなく自分で勝手に終わらせてしまうのは実に勿体無い話だ。

偏って見ると書いて「偏見」。
昔の人は上手いこと言うものだ。